堀○えみの羽田発の歌
こまかいことをいってんじゃねぇ とは女性の得意技で
昨日の堀ちえみオフィシャルブログを見て
しらずしらず でコメントしていくと
長ねぎとえのきの料理
確かに関西人とはこういうことをしそうで
家庭がプレミアじゃなかったら何だ? という気になって
人によっては子供のとき おれはこれは食べないよ となって
ねぎとなめこ ねぎのかんすいみたいなところを使った料理
ねぎとかんすいのコンセプトの違いもわかるよ
人のブログを見るようになってインターナショナルコミュニティで
ギャラリーの数も増えて
長州とかだけではなく原も自分の 座敷童→子供の自分 を連れて
見ていて聞いていて
原 おまえはいるな といわれていて
原 仲間いるの? いないの? とも聞かれていて
そんな方法論あるの? まじで
NGTと違うだけで原は まじで
これもなぁ グルテンフリー何てどうでもいい
要するにマカロニで
サウザンアイランドじゃなくてマヨネーズで
ささみと聞けば動物の食べるもので
これアベレージでそうで
そういう人間はささみで人間の選別をしているように思えて
そして動物とはいちいち人間以上に意味がわかっていて
何といっても鑑別能力が人間との比較ではなく
センシティブ 繊細 で
そういう人間はタイラバ船長のブログを見ても
普通鯛が食べれる限界 だから狂言とかで鯛がでてきて
ひらめとか食べにくい という意識もあって
キリスト教 食事は厳粛なもの はわかるが
ていって ねぎとえのき というフォームがあるか とか
キリスト教のコンセプトであればグルテンフリーとかどうでもよく
人参しりしり という聞いたことのない料理
関西固有の料理 物事わかってる風の
だが 蕪 はいやらしい がわからなければ意味がなく
堀ちえみという人 京都の濃い人間に見えてきて
むしろ人と仲よくしない に賭けた人間 に見えて
エシャレットとくわいの食卓 が構成されて
犬でいえば1年中半袖の ヨーキー家族の疑い がかかって
僕のささみを1個あげるよ しっかり食べるんだぞ
ねぎとえのきはこうして食べるとおいしいんだぞ
とレクチャーする兄
こうなっても正解を追究する人間の知性から見て
ここでの問題は ヨーキーの歩き方 で
マルチーズ トイプー と違って着実なフォームで歩いていて
イメージされる内容は
努力したものが勝つ 一毛の差でも勝ちは勝ち負けは負け で
この最初の ヨーキー家族 ヨーキーの擬人化 は
ヨーキーに責任転嫁している疑いがかけられて
簡単にはこれらのセンテンスの中の問題のあるような内容は
その人間に該当していなければ問題はなく
その人間が該当していても問題はなく
それがカルトで
あくまでレベルを下げない ということがコンセプトで
そういうジャンルで
競争原理 極化 利己 を肯定した人間の
シビア シリアス の 判断基準により構成されていて
そして堀ちえみという人のブログを最近はレギュラーチェックしていて
シンクロニシティでは ブラックバス と関連していくようで
餌を口に入れた後の突っ走りが全て で
そのための 日常 全て のコーディネート ということも考えられる
近況
次のブログは随時~4日後の予定です