あれから一週間が過ぎていた。
 

「ごめんなさい。遅くなりました」
ドアが開いて、園子が部屋に入ってきた。敏郎が幾つかもっているマンションのひとつで、園子には合鍵を渡している。
 

「雪穂は家に帰った?」
園子は雪穂付の秘書役である。もっとも、雪穂は大株主ではあるが会社には何のポストも持っていないので、園子の肩書きは渉外担当ということになっている。
 

「いえ、今日はパーティーのご予定がありましたから、そのまま都内のホテルにお泊りになります」
園子がコートを脱ぎながら言う。
 

コートの下の柔らかそうな肢体の持ち主が僅かな間ながら自分だったというのは不思議な感覚だった。

だが、確かに、派手さはないが整った顔立ちも、痩せた首筋も、小ぶりだが形よく上を向いたバストも、くびれたウエストも、熱く潤った両脚の間の秘所も敏郎は知っている。

その肢体が自分のものであったという記憶がある。
 

「じゃ、今日はゆっくりできるな」
園子を帰してパーティーに行ったということなら、家に帰ってくることはあるまい。

向こうは向こうで宜しくやっているのだから、こちらも時間を気にすることはない。
それに、雪穂のことで園子とじっくり話し合わねばならないこともあった。

 

「……ふう」
敏郎が、園子の上を降りて仰向けに身を横たえた。すぐ横では、園子がまだ荒い息をついている。

倒錯した感覚をまだ引きずっているのか、敏郎も園子も激しくお互いを求め合った。
 

「なんか変な感じだよな」
上気したままの園子の耳元に敏郎が息を吹きかけると、ようやく息のおさまってきた園子が乱れた髪のままこちらを向いた。
 

「恥かしいんですが、なんか私もそうです。敏郎さんが入ってくるたびに、この前のこと思い出しちゃって、どっちがどっちだかわからなくなっちゃいそうでした」
園子が恥かしそうに言った。園子とベットで喋ることなどこれまでほとんどなかった。

 

敏郎が雪穂の秘書役である園子に近づいたのはそもそも肢体目当てというより、雪穂の情報を手に入れたいが為だった。

その為、小奇麗な顔はしているものの特に目立った容姿でも肉感的な肢体の持ち主でもない園子との情事は、敏郎にとって半ば義務めいたものがあった。

園子も雪穂に対する後ろめたさでもあるのか、それほど歓びを露にするようなことはなかった。
 

話のネタに仕込んだリングを園子との情事に使ったのは、「お前を気にかけているんだよ」という、ちょっとしたサービスのつもりだった。
 

(だが……)
「本当にあったんだよな、あれ」
微笑みかけてきた園子がなぜだかひどく愛しく感じて、敏郎は手を伸ばすと園子を引き寄せた。
 

「あれ、まだあるんですか?」
敏郎の手が髪を漉くのに任せながら園子が見上げるように敏郎の胸につけた顔をむけた。
 

「ああ、ちゃんと置いてある」
熱の篭もった園子の視線を浴びて、敏郎の性欲が再び刺激されたが、その前に片付けておかなければならないことがあった。

 

 ※

 

「私、何か余計なこと言いました」
突然髪を漉くのをやめて立ち上がってしまった達郎に、慌てて上体を起こした園子が言った。
 

「いや、そうじゃない」
バスローブを羽織って、リビングへと向かう。

 

「ああ、その中に入っている」
遅れてリビングに入ってきた園子の視線の先のテーブルの上に、例のふたつのリングを入れた化粧箱が置いてあった。
 

「なあ」
座るように対面のソファーを手で示しながら、敏郎は化粧箱を開けてリングを取り出

す。
 

「はい」
園子がいわれるままに腰を下ろす。

腰掛ける際に短いバスローブの裾が割れて、濡れた薄い茂みがかすかに敏郎の目に映った。
 

「君は、僕のこと好きか?」
「えっ?……はい」
真っ直ぐに問いかけた敏郎の視線を束の間受け止めた後、恥かしげに俯いてからそう園子が小さな声で答えた。

 

「雪穂に決まった遊び相手がいるって言ってたよな」
水曜の夜、必ず雪穂は園子を遠ざけるようにいなくなる。

いつものパーティーとは違うようだと園子は推測していた。達郎は園子に誰と会っているのか何とか確認してくれと命じていたが、残念なことに、もう随分と経つのに未だに相手が誰であるかは分かっていない。
 

「何としても探し出して欲しい」
頷く園子にそう告げる。
 

「それと、このリングとなにか関係があるんですか?」
さすがに雪穂につけられるだけあって、園子は頭が切れる。
 

「ああ」
園子を信用しなければ、どうしようもない計画だった。敏郎は意を決すると、園子に説明を始めた。


 ※

 

「分かりました」
園子からの短い連絡が入ったのは、計画を打ち明けてから1月ほどが経った、水曜日の随分と遅い時間のことだった。
 

「間違いない?」
「はい」
「じゃ、手はず通りに」
「……はい」
少し躊躇った後、園子の返事が返ってくる。
 

「大丈夫、絶対上手くいくよ」
計画の大部分は園子でなくては達成できない。雪穂を裏切ることと、もう一つの心配事で、園子は弱気になっているようだった。
 

「大丈夫、僕がついているから」
「……はい。出来るだけのことはやってみます」

 

 ※
 

「あの男なのか?」
スタンダードなジャズのナンバーが流れる静かなバーのカウンター席に座っている若い男がいた。

ハンサムな顔立ちに、均整の取れたた20歳後半ぐらいの優男だった。
 

「はい。篠崎純也、26歳。職業は、ホストです」
 

「ホスト?」
少しばかり意外だった。あの雪穂がホストなどに手を出すとは。
 

「店に行ったりはしていないようです」
園子が心を読んだかのように説明する。
 

「どうも、お友達のセレブのお一人からの紹介のようでして。その方の経営されているエステがそういう社交場らしいのです」
そのエステで毎回園子は撒かれていたらしい。
 

「よく、つきとめられたね」
いわゆる秘密クラブというヤツか。幾らセレブのお遊びとはいえ、園子がどうやってその秘密を突き止めたのか敏郎は少々訝しく思った。
 

「あそこ以外に思い当たるところが無かったので忍びこんでみたんです」
敏郎の疑問を感じたのか、園子がそう言って舌を出した。
 

「えっ?」
えらく思い切ったことを、とその行動力に敏郎が舌を巻いていると、
 

「賭けてみたくなったんです、私も」
と、どきりとするような返事があった。

 

「あっ、店を出るようです」
篠崎というホストの後を追って園子が立ち上がろうとする。リングは既に園子のポーチの中だった。
 

「あっ、ちょっと待って」
もう一度、園子のチェックをする。

ここに来る前に寄ったブティックで揃えた少し露出度の高い衣装は園子にとてもよく似合った。

 

普段、きちっとしたスーツ姿しか見たことのなかった敏郎は、その変身振りに、満足と少しばかり嫉妬が湧起こるのを止められなかった。
―― あの、篠崎というホストに抱かれるのか。
目論見通り事が運べばそうなるはずだった。そして、目の前の変身した園子ならば、かなりな確率でそうなるだろう。
 

「えっ……だめっ」
込み上げてきた衝動にまかせて、園子を捉まえ抱き寄せると人目も気にせずキスをした。

 

「きっと上手くいきますよ」
園子の人差し指が上がって、唇の間に潜り込むとキスを解いた。そのまま指で敏郎を押し戻すと、にっこりと笑う。
 

「行きますね、後のことお願いします」
園子がそう言い、惚けたように突っ立ったまま敏郎はその後姿を見送った。
 

(……もしかして、惚れたのか?)
椅子に腰を落として園子の後姿を追いながら、敏郎はそんなことを思っていた。最近の雪穂にも、遊びで付き合っている他の女にもついぞ感じたことの無い感情だった。