自分で考え 声上げる 作家・落合恵子さん (上)(2回の連載)
  母の教え胸に 問い続ける憲法の理念

 

 「なぜあえてあなたがゲイを書く必要があるの」。
 今ならありえない間いかけだろう。
 34年前、落合恵子さんが小説「偶然の家族」を出したころ、親しい編集者から掛けられた言葉だ。

 作品はさまざまな事情を抱え、傷を負った人たちが血縁ではなく「結縁」で一つ屋根の下で暮らす触れ合いを描いている。
 その中にはゲイのカップルもいた。「『なぜ』と問われても、私は社会で『普通』と呼ばれる枠からはみ出したり、外されてしまった人に共感するんです」
 作品にはモデルとなった舞台がある。
 落合さんが小学生の時、母親と暮らした東中野の木造アパートだ。
 30代半ばを過ぎたころ、反戦集会に参加していると、ある女性が人目を避けるように会いに来た。アパートに住んでいた「おねえさん」の一人だった。

 「母がいない昼間、おねえさんたちが私の面倒を見てくれた。夜になると出かけていく。彼女たちは戦争で夫を失って、ダンスホールなどで男性相手の仕事をしていた。朝鮮戦争が始まると、おねえさんの部屋に来る米兵もいて、私をかわいがってくれました」
 それから20年ほどして現れた「おねえさん」は、作家になった落合さんに手紙を書いては破いていたという。
 「あのアパートに私が住んでいたことが分かっては迷惑がかかると思ったって…。彼女たちは戦争の被害者です。悲しみに向き合う余裕もなく生きるのに精いっぱいなのに、そんな境遇さえ隠さなければならない。なんと残酷なのだと」
   (下)に続く
           (10月29日「東京新聞」朝刊28面
           「昭和20年に生まれて 東京発 Born in 1945」より)