サナギなんだろう、と思う。

うちの次女のこと。



殻に閉じこもり
なかでは劇的な変化をしているのに
外からはうかがい知れない。

ある日、急に飛び立つのかもしれない。


母として、それもコワイ。


できれば見える範囲で
元気に楽しくやってくれるのが理想。

でも、飛び立って見えなくなってしまう…気がする。



以前、子供たちがまだ小学生のころ、
学校のプールを梅雨明けの時期に掃除するという時間があった。
小学校の高学年の
ある種、イベント的年中行事で

掃除とは名ばかりのヤゴ採集だった。

その年は、うちにもヤゴがやってきた。
見守っているだけでいいはずなのに
大きなプールから小さな虫かごサイズの水槽に入れたせいか
次々と死んでしまって

最後の1匹だけがサナギになった。

当時、ガーデニングに凝っていて
毎朝、水やりをしながら観察を続けたのだが

ある朝、なぜか

水やりの水を大量にかけてしまった。

サナギはびしょ濡れ。。。。


そう、死なせてしまった。





サナギは見守るだけでいい。

でも、良かれと思ってのひと言が
あの時の水のように

サナギを死なせてはしまわないか。


反面、ごはんだけでなく
言葉という栄養も必要だと思う。

いままで、照れて、
大切なことを「以心伝心」に任せ続けてきた私には


「言わなきゃわからない」言葉を言い続けるのも
必要だと思っている。



右と左にぶれぶれで

いつも結論は出ないけれど



空想だといわれようと
妄想だと思われようと


サナギが蝶となって飛び立つ日を夢見ることにしよう。



さみしくても

旅立ちを祝福できる親になっていようと思う。