ライブから帰ってきて

娘のNICO熱はますます高くなった


私もなんとなく、その話につきあえるようになっていたら

2人で何度も繰り返しCDを聞き口ずさんだ



「ひとりカラオケ行ったときも

コレとコレ、歌ったんだけど

声高いんだよ~

みっちゃんみたいにうまく歌えたら

どんなに気持ちいいだろう」



みっちゃんとはボーカルの光村龍哉くんのこと


「うーーん、そうだねえ

お母さんも音痴だからなあ

ごめんなさいって言うしかないかなあ」



そんな会話をしたっけ





「次はスタンディング???」



「うん。でもさ、現実問題、まだちょっとね

だからさ、次は2階席の座席のところで見て

来年にはスタンディングって計画にするわ


NICOってさ

11月25日をイイニコの日って言って

いっつもどっかでライブするんだよ

それに行きたいなあ」





いっつもこんな感じで話していたから

重病人と看病している人には聞こえなかっただろう


よく言われたもの


「思春期のお嬢さんとこれほど仲良くて羨ましい」って





私も、おもう


娘がもし病気になっていなかったら

これほどいろんな話をしなかったかもしれない


私は仕事、仕事って必死になって

娘にも外の自由な世界があって

思春期以降は「秘密」が増えて




でも、本当はそっちの方がよかったんだよね。。。

寂しいけれど

それが「普通」の親子だったよね。。。





寒さ厳しい2月



担当医からは

「次の目標っていうか、楽しいことを決めようよ」


なんていつも話してもらって





3月末に

5月まで通っていた高校のクラスメイトに

挨拶に行くことにした



「4月からまた復学するからさ

また1年ジャン、わたし。

でも、よろしく!って

言いに行きたいからさ・・・」と娘。





担当医は


「すぐにでも学校に行った方が・・・」という意見だったが

娘の計画を優先した



きっと4月から

3度目の高校1年生になれる

そう信じていた








そう、1年生は3度目だった

同級生は高校3年生になる



留年をこれほど繰り返しても許していただいたのは

高校側の配慮のおかげだ


しゃくし定規な対処だと

3度目はないらしい

長くて2年だという




娘は、いきたいあこがれの県立高校があったのだが


やはり「ごえん」とは不思議なものだ





この高校にお世話になって

本当によかった








そして、今も

娘は


校長先生が副住職を務められているお寺に

眠っている