ながらく放置していました。

8月で、いや、9月でひと段落つくはずだった仕事

このほど、やっとやっとひと段落しました。


ひと段落ってことで

まだ終わったわけではないけれど・・・


ちょっと落ち着いたので

ブログ再開します!!!




毎日、「追われる」ばかりで何も考えられませんでした。

あり合わせの食材で、

炒め物とかただ焼くだけとか、簡単なモノばかり作ってました。

掃除も毎日なんてゼンゼン!!


でも、やっと抜けました。




抜けたのですが、

何から始めたらよいのやら???って具合なんです。

時間をどこから使ってよいのやら?


とにかく、ブログを書こうと。




なんだか、いろいろありました。



娘を亡くして1年半足らず・・・

父を看取りました。


穏やかな最期だったと思います。



大阪にいる父を

週末は見舞い、平日は仕事に明け暮れ


そんなことがあと1年は続くと覚悟していたけれど

あっけなく父は逝きました。



自分のしたいことをして

母とも、決して仲の良い夫婦ではなかったけれど




今、母は

「なんの恨みもない。

ぜんぶ、溶けるように流れたみたい」


といいます。


入院生活は


今年の3月から始まり、出たり入ったり・・・

最期の入院は10月初めからだったでしょうか?

最期の最後、1週間は個室でゆったりした時間を2人で送ったようです。



「最期、手を握って時間を過ごすなんて

自分でもびっくり」


母が笑います。



私が帰っていた週末に父は逝きました。

待っててくれたのでしょうか。

親不孝な娘ですが

ちゃんと間に合いました。




1年前、実は、弟もこの世を去りました。

この1年半で、私を中心に


娘と弟と父が逝きました。




それなのに、私はこんなに元気で

私だけが幸せをひとり占めしているようで






でも、元気に暮らしています。

独り占めしてしまった幸せを、味わい尽くさないと

今は亡き人たちの分まで




3人の違った形での「死」を経験して


私には何ができるのでしょう?





思考の半分以上は、

私には


いえ、人間には


なんの力もなく

できることなんてない。

他人を動かすなんてデキナイ


と、あきらめてしまいます。




私は、私のまわり小さな関わりの中で

できることをするしかない

やるべきことは精いっぱいするしかないって





だって、


どうして病気になったのか

なぜ、彼女だったのか


それさえもわからない

人間には選べない




ずっと


一生懸命生きていたら

神さまがきっといい結果を与えてくれる



って信じていたけれど



一所懸命ではかなわないものがあり

神さまはいないかもしれない






それでも


人間は



一生懸命生きる



ことしか、


それしかできない





選ぶ余地がないのだと思います。








久しぶりにブログの画面に向かったら


支離滅裂に叫んでしまいました。



娘の闘病記、続けます。

また、読んで彼女のがんばりを見届けていただけたら幸いです。