「ターネーション」 ★★★★ | オスカーノユクエ 映画情報

「ターネーション」 ★★★★

ターネーション

常にカメラを意識しながら生活するというのはどんな気持ちがするものだろう?
本作「ターネーション」を製作した弱冠31歳のジョナサン・カウエットは、11歳の頃からカメラを回し、自分と周囲の人間の生活を撮り続けてきた。20年間もの長きに渡って自分を被写体とすることで、彼はいったい何を表現したかったのか。あるいは、被写体となることにどんな意味があったのか。

この作品を誉めそやすのは簡単だ。カウエットが綴る家族史を素直に受け入れれば、フィクションでは表現し得ないリアリティに圧倒され、波乱万丈のドラマに胸を打たれること請け合いだ。ただ本作はカウエットが自身を被写体に主として一人称で物語を語るため、事実を客観的に捉える他者との間にはどうしても隙間が生じる。この場合、温度差と言ったほうが的確だろうか。


映画が始まると、カメラはとあるアパートのドアを開けて部屋に入ってくる一人の男を捉える。そして次の瞬間、カメラはソファにうつ伏せに横たわるカウエットにパンする。最初にカメラが捉えた男はカウエットの隣にいるので、一体彼らの姿を誰がカメラにおさめているのかと戸惑ってしまう。
やがて映画は「リチウム過剰摂取」についてネット検索するショットを挿入すると、おもむろに電話口で入院中の母を涙ながらに心配するカウエットを映し出す。この一連のシークエンスに作為を感じないでいられるとすれば、あなたは相当ピュアなハートの持ち主だろう。


のっけから疑心暗鬼に陥る自分に不安を覚えるが、映画がカメラの前で演技する11歳のカウエットを映し出したとき、この映画が宣伝されているような「母へのラブレター」的な美談ではないのだと気付く。この11歳の少年、涙ながらに夫の暴力を訴える女性を演じている。映画の構成としては、性的倒錯および現実逃避による変身願望にとり憑かれたあわれな少年期の証拠VTRという位置付けなのだろうが、その演技があまりに達者で、しかも一切の編集を加えず延々と流すので、実はカウエットが自分の才能をアピールしたいがためのカットじゃないかと思えてくる。


その後映画は主に母レニーの精神病の原因を探ることを目的に動き出すが、それも劇中カウエット自身が話すように、要するに自分のルーツをスクリーンの前で明らかにしようとする行為だ。自分のための行動であって、決して母のためではない。また、両親に虐待を受けたと打ち明ける母の様子を映し出すのも、虐待の事実を祖父に問いただす様子を捉えるのも、少々芝居じみている。


そして何より、恋人と気ままなNY生活を送っていたカウエットが突如母との同居を決意するあたりが出来すぎている。カウエットが母との同居を決意するきっかけは、母のリチウム過剰摂取ということになっているが、同時にジョン・キャメロン・ミッチェルがフィルムの存在を認知した時期とも一致する。下衆の勘ぐりと非難されればそれまでだが、映画の筋書きの一部として母との同居を決意したと感じられなくもない。


コンプレックスさえ武器に自らを被写体とするナルシシズム、カメラの前で演じることを日常としてきたライフスタイル、そして卓抜な演技力。そのどれもが、カウエットが自ら描くようなピュアな愛に生きる男ではないことを告げている。映画は必ずしも真実を語ってはいない。だが一方で、ジョナサン・カウエットというしたたかな男の真実を物語っている
真実も虚構も入り混じった灰色の世界、そういう場所に人間は住んでいる。フィクションでは語れない世界がそこには確かにある。