悲しみを知るひと | ことり色の風

ことり色の風

 やっと本当の自分に出会えたように感じます。自分の
『大好き』を大切に、できることから始めようと決めました。
 まだまだ歩き出したばかりですが、よろしくお願い致します。
 

 こんばんは!


 今日は夏越しの大祓ですね。

いつもお伺いする神社さんにお参り致しました。

今日はご神事があるようで、氏子の皆様がご拝殿のお掃除をされたり、授与所でお仕事をされていて、なんとも活気があって、神様もお喜びかと思いました。


 退出して車に乗ったら 『悲しみを知る人』という言葉が思い浮かびました。

 不思議なのですが、神社さんにお伺いしよっかな、と、自宅駐車場で車に乗った途端、理由がわからないのですが涙がとめどなく流れてきてしまって。

 お参りさせてもらってからも、帰宅してからもやはり涙が流れてきました。

 これは、悲しみさえ豊かさなんだよ、って教えてくれていたのかも、ですね。

 無理、この人がいなくなったらわたしは生きていけない、と言うほど好きな人が現れた時、その人を亡くすのが怖くなる。それもまた愛という側面があると思いますが、亡くして悲しいと思えること、それは、本当に満たされた時間があったからなんじゃないかな。

 わたしは本当の悲しさも愛おしさも知らないできてしまったんじゃないか、と、いつも感じていました。どこか一枚、薄いまくが張っていて、だいたいわかるんだけど、今ひとつリアルさに欠ける感じがしていました。それは全ての感情についてそうで、凄く嬉しい、っていう事もわかりませんでした。

 今日は、心の底から純粋に流れてくる涙を感じさせて貰いました。それはどこかあっさりとスッキリとした感じでした。

 これもまた プレゼントかも。

大祓で気持ちの中のまくが取り去られたのかもしれませんね。


 悲しみを知るから優しくなれる。

もしかして…と思い当たる方のお顔が思い浮かびました。その方は、わたしの感情を豊かにしてくれるはずだった人。愛することから悲しむことまで教えてくれたんじゃないかな。

涙が流れている間、深い藍色が心の中に広がっていました。激しい真っ赤な色の悲しみは感じたことがあるけれど、わたしにとって、深い藍色は悲しいけれど優しさも含みもつ感情なのかもしれませんね。

 わたしの未熟さから、お礼も、お別れも言わず二度とあうこともなくなったけれど、本当にありがたい出会いだったことに、改めて感謝しました。