本当に嬉しかった話 | ことり色の風

ことり色の風

 やっと本当の自分に出会えたように感じます。自分の
『大好き』を大切に、できることから始めようと決めました。
 まだまだ歩き出したばかりですが、よろしくお願い致します。
 

 おはようございます。

今朝は少しだけ雨が降っています。

これくらいの気候だと、本当に過ごしやすくありがたいです。


 挨拶って大切ですね!

挨拶一つから、温かな気持ちを頂けることもあります。

 挨拶がきっかけで、先日わたしは、全く存じ上げない方から 

自分のためにしていた事に対して

『本当にありがとうございます。』

とお言葉を頂きました。

何故か凄く嬉しいというか、心が動いてしまって、帰宅して号泣しました。きっと、その方のお気持ちの豊かさが嬉しかったんですね、わたし。

 本当に些細な事なのに…まさか、こんなわたしを見ていてくれる人がいるなんて…って思っていた事に気がつきました。


 最近、こんなに嬉しいことはありませんでした。もしかしたら、わたしは、これは人に感謝されるようなことではないし、ましてや自分のためにやっている事だから…って、なんの見返りも求めていなかったからなんじゃないかな。

 

 あの人、挨拶もないし、お礼も言わないよね、みたいに思ってしまう時、わたしは、わたしがやりたくてやってない、って事なんでしょうね。

 いいの、わたしがやりたくてやらせてもらってるの、って言う人たちと一緒にいられたら、本当に幸せなんでしょうね。←意味深?!笑


 もしかしたら、ご先祖様や離れていてもわたしを見ていてくれている誰かが、その人を通して

『よくやってるね、いつも見てるからね!』

って伝えてくれたのかな、と思いました。

 

 全く脈絡もないのですが、その人のことを思って嘘をつくならば、お墓まで持って行く覚悟をしないといけないんだな。後から わかって欲しかった、って思うくらいなら、素直に伝える方が余程いい。

 でも、本当のことは必ずいつか伝わる。だから、ある意味苦しまなくていいし、しなくちゃいけないのは自分が、どんな感情からそれを始めたか、じゃいかな?

恐怖から始めたらそれは恐怖な道、愛から始めたらそれは愛へ続く道…

でも、どんな思いからであったとしても、過去への思いが変われば、未来は変わる。

未来は自分で変えられる、というのは、自分自身に対するイメージとか、行動パターンを変えられるかどうか、なんじゃないかな。

 幼稚園の頃、誰かと取り合いになりたくなくて、いつも一番下の傷ついたリンゴを取っていました。それもまた優しさだけれど、わたしも、いいリンゴを取ってもよかったのに。笑

 いいよー、あの時のわたし!綺麗なリンゴ、とってもいいんだよ。笑 でも、その生き方をしたから受け取れたものもあるし、受け取り損ねたものもある。受け取り損ねたのは、残念だけれど、そもそも受け取るチャンスを得られたのは、あの、傷ついたリンゴを選べるわたしだったから、だったのかもしれない。

これからは、みんなで綺麗なリンゴをとろう!と思えたらみんな幸せなんじゃないかな?

…それから、先生も、りんごを吊るす位置を考えて欲しい。もっと上の取りやすいところに全部吊るしてくださいよ?見栄えも大事だけど、思いやりも大事じゃないかい?

…ふとそんな事を思いました。