人は人と関わって生きている。
どんな小さな日常にも、どんな大きな衝撃の中にも、人との関わりは存在していて、その大きさは変わらない。そこにも ここにも「しあわせ」はいつも存在していて、その大きさだって変わらない。

良いとか悪いとか、常識とか非常識、正しいとか間違い・・・なぜ ひとつ一つをそうやって振り分けようとするのだろうか?
せっかく色んな物事が絶妙なバランスで繋がりを持ってここに在るというのに、わざわざ切り離してしまう。おまけに自分が切り離してしまったためにその輝きを弱めてしまったひとつ一つに、これまた善し悪しのレッテルを貼り付けたりするんだな。あ-、んもう。


よく 人は自分自身を映す鏡だといいます。それはその通りだなって、思います。
その鏡に映った自分の在りようをどう受け取るのか。どう読み解くのか。
それによってそこから先の道のりが随分と異なってくるのだなぁと実感しています。自分の道のりも、そして鏡の役割を担って下さった人の道のりもね。

人は自分のものさしを、つい目の前の人にも当ててしまいます。自分のフィルターを通して目の前の人を見てしまいます。
だから色んな事がずれてゆく。ずれた思考の上にまた別の思考を重ねてゆくものだから、最初はわずかだったずれもどんどん大きくなって・・・はなはだ見当違いの見解なのに、それを叩き出せたという自己満足に陥り、それでおしまいっ。

自分自身も含め、人間というものを理解するのって、本当に難しいです。
う-ん、しなくっていいのかもしれませんね、理解なんて。
だとしたら、こうして誰もが日常的に体験し続けている人と人との関わりは、一体 そこに何を見出すために在るのだと思いますか?

朝はあんなに降っていた雨もあがり、今は青空が広がっています。
さて、掃除でもしよっかな-。