けふこへて

 

 

 

 

 

 

 

  不思議なのは、夢で見る彼の記憶と、私の記憶とが、区別できないんです。

 

 

  たとえば、ふと、時計が気になって、「え? もう9時? 9時に、駅で会う約束だったわ」って、あわてて、家を飛び出して、駅まで走るんですけど、駅で、「あれ? ・・・・誰と会うんだっけ?」

 

 

  落ち着いて、考えてみると、誰とも、そんな約束してないんです。

 

 

  それって、きっと、彼の記憶なんです。

 

 

  それで、「もしかして、彼に会えるかも・・・」って、駅の改札口で、彼を探し始めます。

 

 

  ところが、どんな顔をしているのか、よくわかってないんです。

 

 

  夢の中では、彼の顔って、見えないんです。

 

 

  彼って、めったに鏡を見ないからです。

 

 

  そのうえ、約束の駅って、どの駅なのかも、わかってないんです。

 

 

  ただ、ただ、恋しさだけが、募(つの)ってゆくんです。

 

 

 

    

 

 

 

           

 

 

 

 

 

 

   

   

   オレにとって、現実って、闘うべき相手でした。

 

 

   ちょっとでも、油断すると、襲ってきたんです。

 

 

   毎日が、一難(いちなん)去って、また一難の繰り返しでした。

 

   

   柔道には、乱取り稽古っていうのがあるんですけど、オレにとって、生きるって、乱取り稽古しているような感じだったんです。

 

 

   それが、女の匂いがするようになってから、現実が、闘うべき相手じゃなくなっているんです。

 

 

   愛すべき相手になっているんです。

 

   

   女の匂いをさせているのは、現実なんです。

 

 

   闘うんじゃなくて、愛したくなるんです。

 

 

   女の匂いがするってだけで、この世界が素敵に見えるんです。

 

 

   こんなふうな世界の見方があったなんて、驚いているんです。

 

 

 

     ー つづく ー

 

 お読みいただいて、ありがとうございますお願い

 

 

       フォローしてね…