5話 自転車の絵を描いたら
純絵(すみえ)は、祖父の水墨画の道具を引っ張り出した。
祖父と会いたかったからだ。
祖父の道具を使えば、描き方は、教えてくれると言った。 それは、つまり、教えに来てくれるということだ。 会えるということだ。
それで、かわいい自転車がほしかったから、墨で、自転車を描いた。
もちろん、黒いかたまりを描いただけだ。
「じいちゃん? どう、かくの? おしえてくれるって言ったよね?」
純絵は、祖父を待ったが、なかなか現れない。
ただ待っていても、つまらないから、また描く。
そのうち、面白くなってきた。
純絵には、かわいい自転車がほしいという気持ちそのものが、描けた。
よく、子供の絵が、滅茶苦茶だったりするが、本人には、何が描かれているのか、はっきりとわかっていることがある。
むしろ、形に囚(とら)われるようになると、自分の気持ちが描けなくなったりする。
それは、他人(ひと)の目で、生き始めたということなのかもしれない。
ところが、自転車の絵を描いて、数週間後のことだ。
純絵は、母と、街まで、買い物に出かけた。
街と言っても、田舎だから、駅周辺の商店街だ。 そこで、福引きをしていた。
八角形の木の箱を、ぐるぐるとまわして、色のついた玉を出す。 1等は、金色の玉で、テレビだった。 2等は、銀色の玉で、自転車だった。 もっとも、大人用の自転車だ。
母は、3回、まわしたが、3回とも、赤い玉で、ポケットティッシュだった。
純絵は、2回、まわしたが、2回とも、銀色の玉で、カラン、カラン、と派手に鐘を鳴らした。 当たると、手に持った鐘を鳴らすのだ。
純絵は、いっぺんに、2台も、自転車を手に入れてしまった。
こんなことは初めてだと、商店街の人たちも、驚いていた。
そのうえ、2台とも、子供用の自転車に替えてもらった。
1台は、かわいいピンク色の自転車、もう1台は、青色の3輪車だ。 3歳の弟の重良(しげよし)のためだった。
そのうえ純絵は、自転車に、補助輪もつけてもらえた。
祖父の言っていたことは、本当だった。
自転車の絵を描いたら、本物の自転車が手に入ったのである。
ー つづく ー
