19話 怖れが無ければ、道が、現れて来る

 

 

         彼の話によれば、私って、眠っているらしい。

 

    「私が方向音痴なのは、熟睡しているってことですか?

 

    私は、真面目に聞いたのに、彼は、白い喉仏(のどぼとけ)を転がして笑った。

 

    「私たちにとって、生きるとは、怖れから、逃げ続けることなんです。

 

    生きる目的があるようでいて、その目的が、怖れからの逃げ、なんです。

 

    ですから、迷うだけなんです。

 

    どんな目的も、方向音痴なんですよ。

 

    誤解して、逃げ回っているだけなんです。

 

    ですから、誤解に気づいて、逃げ回るのをやめればいいんです

 

   「私って、方向音痴で、逃げ回っていたから、余計に迷っていたってことですか?

 

   「私があるってことが、怖れがあるってことなんです。

 

   逃げ回ることをやめるには、あなたを手放すしかないんです

 

   「どうやって?

 

   「もともと、誰も、いないんですよ。

 

   怖れから、守ろうとして、わざわざ拵(こしら)えたものが、私なんです。

 

   街灯と、同じですよ。 暗闇への怖れから、拵えたんです。

 

   街だって、私たちが生き残ろうとして、拵えたものです

 

   「でも、街灯が無かったら、真っ暗だし、街が無かったら、買い物だって、できませんよ?

 

    私の素朴な疑問が、彼には面白いらしい。

 

    彼が笑ってくれるのは、嬉しいけど、どこが、面白いのかしら?と思う。

 

   「でも、そのあなたこそ、誤解から作られたものなんです。

 

   怖れから、しがみついているのが、あなたです。

 

   逃げ続けているあなたを、握って、放さないのが、あなたなんですよ。

 

   自分で、自分を、つかまえているんですから、逃げられるわけがないでしょ?

 

   また、なめらかに、白い喉仏を、転がして、笑っている。

 

   「私が方向音痴なのも、自分で、自分を、つかまえているからなんですか?

 

   「むしろ、あなたは、自分が方向音痴なんだって、気づいているんですよ

 

   「・・・私、もしかして、褒(ほ)められました?

 

   「褒めました

 

   「方向音痴で、褒められたのは、初めてです

 

   背の高い彼は、静かな樹のようにして、立っている。 風に、葉が、そよぐかのようにして、笑っている。

 

   「私が、方向音痴に気づいたのは、山での落雷の最中でした。

 

    どこにも逃げ場が無くて、死への恐怖が極限に達したとき、すべてのものが、ひとつであることを、体験したんです。

 

    それ、は、普段、私たちが、眠りと呼ぶものでした。

 

    眠ったときは、私は無いでしょ?

 

    それ、になったときも、私は無かったんですよ。

 

    私が無くなると、別々だった、すべてのものが、ひとつでした。

 

    そして、私は無くなったのに、無(む)にはならない。

 

    怖れとは、誤解だって、気づいたんです。

 

    愛されているって、わかったんですよ。

 

    そうしたら、激しい落雷の続く中で、鼻歌を歌い出していたんです

 

   「それで、山からは、無事に帰れたんですか?

 

   「自分にしがみついていたときは、あんなに迷っていたのに、私を手放したら、道の方から、現れてくれました。

 

    すべてのものは、それ、から現れて来るんです。

 

    怖れがあれば、迷いが、現れて来るんです。

 

    怖れが無ければ、道が、現れて来るんですよ」

 

 

              

 

 

 

          ー つづく ー