52話 無と存在

 

 

 

 川底にいて、ふと、見上げると、水面(みなも)がある。

 

 谷川の流れが、日射しの光と、戯(たわむ)れている。

 

 その光景は、明らかに空とは違う。

 

 その途端(とたん)、息が苦しくなった。

 

 たぶん、水の中だと呼吸できないと、思ったのだ。

 

 僕は、突然のように、何も考えられなくなって、浮上(ふじょう)しようと、踠(もが)きだした。 生存本能としか言いようがない。

 

 ところが、水面から手が出たところで、止まった。

 

 見ると、Yukiが、僕の足首をつかんでいる。

 

「何、するんだよ?」

 

それは、こっちのセリフよ。 何しているの?

 

「苦しいから・・・・・・」

 

今さら? さっき溺れ死んだでしょ? もう忘れたの?

 

「だけど、実際、死んでいないんだから・・・・・」

 

そうやって、すぐに、夢に捕(つか)まるんだから。 現実を信じ過ぎなのよ

 

 水面(すいめん)から出ている手が、空気の軽さに触れている。 その空気感が、余計に僕を焦(あせ)らせる。

それは、僕が水の中に沈んでいるということだからだ。

 

「話は、あとで、聞くよ。 足をつかむの、やめてくれよ!」

 

あなたをつかんでいるのは、夢なのよ

 

「Yukiだろ! 手を放せ!」

 

面白い! 夢の中で踠(もが)いているわ

 

「馬鹿にしているのか?」

 

だって馬鹿だもん

 

 僕は必死になって、手を振り解(ほど)こうと、蹴(け)るが、Yukiは、しっかりとつかんで、放さない。

 

あなたは、自分が壊れると、怖れているの。  

 でも、壊れるのは、夢なのよ。

 夢は、壊れて、眠りとなるの。

 そのとき、あなたは無(む)となるわ。

 でも、あなたが無くなるわけじゃないの。

 眠りそのものとなるだけよ

 

「僕が無(む)となる?

 無(む)は、どこにも無いんだろ?」

 

無(む)は、どこにも無いわ。 

 だから、すべてがあるのよ。

 すべてとは、眠りのことよ。

 その眠りが壊れて、夢となるの。

 そして、夢が壊れて、眠りとなるの。

 その繰り返しなの

 

「無(む)が無いから、すべてがある? どうして?」

 

もし無(む)があったら、すべては無いわ。 それが無(む)だもの

 

「無(む)が無いだけで、すべてが生まれるって言うのか?」

 

あなたは、すべてって、空間や時間のことだと思っているでしょ?

 

「違うのか?」

 

空間や時間だって、夢なのよ。 眠りが壊れて、できたものよ

 

「現実の話をしているんだよ」

 

だから、同じなんだってば。  

 空間や時間だって、存在が壊れて、できたものなのよ

 

「その存在って、何だよ?」

 

無(む)は、無いってことよ

 

「同じことを言っているだけじゃないか?」

 

それが、現実なんだもん。 

 それが、この世界なのよ。 

 存在と、無とを、繰り返して、振動しているのよ