技術革新が進むほど大切な「アナログ」な動作 | よねちゃんのつれづれ便り

技術革新が進むほど大切な「アナログ」な動作

村上春樹氏の『1Q84 Book3』が発売され、この本が、「紙で発行される書籍最後のベストセラーだ」という人もいる。

ちょっとそれは大げさだな、と思わなくもないが、今年は「電子書籍元年」だと言われている。

きのう、250万冊の蔵書があり、ご自身の著書も何冊か電子書籍化されたと言われる方の話を読んだ。

さすがに、それだけの蔵書があると、本棚も特注されたのだという。

その方は、将来、書籍や雑誌などの90%が電子化され、残り10%くらいは紙の本が残るだろうと予想されていた。電子書籍が読める端末を持たない人も当然出てくるだろうからと。

それに、ハードディスクが内蔵されている端末であれば、今、ハードディスクの価格が以前よりも下がっていて、内蔵されるメモリが多いほど、紙の書籍なら、かなり厚くなっても、電子書籍なら容量的にもそれほど食わないし、なおかつ、購入する場合でも紙の書籍なら単行本なら1500円くらいするが、電子書籍なら数百円で済むし、かさばる事もない、とも書かれていた。


ビデオテープからDVDへの普及が急速に進んだような事がまた起こるのだろうか。


私も電子辞典を買い、使ってみたが、確かに便利だ。画面は携帯よりも大きくて見やすいし、辞書を選び、単語を入力し、「決定」ボタンを押せば、即座に意味が出る。

電子辞書には、『広辞苑』など、自分ではとうてい持ち運び出来ないような辞書や、買えば数十万もする百科事典など、100種類もの辞典が収録されていて、それらをすべて揃えようとすれば、途方もない金額がかかる。それらが数万円で手に入り、しかも1台に集約されているのだから、考えようによっては「安い買い物」だと思った。

でもある時、新聞の投稿欄に書かれていたのだが、久しぶりに電車に乗ったら、以前なら、文庫本や新聞を見ている人や風景を眺めている人がいたが、今は多くの人が下を向いていたと。なぜか?…携帯の画面を眺めているのだと。それを見て、その人は淋しさを感じたそうだ。

私はその方の気持ちがなんとなく分かるような気がした。

紙の本や新聞なら、ページを「めくる」が、電子書籍ならボタンを一押しすればいい。

確かに電子辞書のほうが楽だし、時間もかからない。急ぎの時などは、仕方ないとも思う。しかし、記憶に残るだろうかと思う。学生時代は、特に、片手に赤ペンやマーカーを持ち、自分の手で辞書を引き、線を引いたり、ノートに書いたりする苦労(動作)をする事で、覚えようとする気持ちが出てきて脳が活性化すると思う。

また、特殊なたとえかもしれないが、今は、相手がすぐそばにいても、話をせず、パソコンのモニターで“会話”してしまって、しかも絵文字で喜怒哀楽をも表現するから、相手の顔を見たり、声のトーンでそれらを感じ取る事があまりないから、今の若い人はコミュニケーションが苦手だという。

直接、話をしないと分からない事もあるし、時には、議論が白熱して、けんかになりかけた事があったとしても、そんな事を繰り返しながらも、信頼関係を築いていく事だってある。

「めくる」とか「話し合う」とか、一見めんどくさい、時間のかかるアナログな動作が大切な事がある。技術革新がどれほど進んでも。