出会い | よねちゃんのつれづれ便り

出会い

昨日、今日と同じアナウンス講座出身のTさんの名前が番組欄に出ていた。

Tさんとは、以前、地元のコミニティFMの番組でラジオドラマをやった時、打ち合わせに参加され、その時は同じアナウンス講座出身とは知らなかったが、後日ある方との引き合わせがご縁で再びお会いする機会があり、その時にTさんの方から「一度お会いしたのですがどこで会ったか覚えてます?」と言われ、思い出せずにいる私に「コミニティFMの打ち合わせで…」と言われたところで思い出した私。そこで同じアナウンス講座出身と分かり、親近感が増した。

縁とは不思議なものだ。

受講した時期が違うとはいえ、同じアナウンス講座出身。
もう一年半近く会っていないけれど、時折、ニュースを読んでいる声を聴いたり、こうして番組欄で名前を拝見すると、嬉しくなると同時に自分も頑張ろうと思うので、いい刺激になる。

最初は違う目的で通い始めたアナウンス講座。でもある人との出会いと彼の一言がなければ、今の自分はないと言ってもいいくらいだ。

K氏と出会ったのは6年前。
K氏は、仕事中に大怪我をし、1日も早い職場復帰を目指し、懸命にリハビリに取り組んでいた。

一方、私は印刷会社に勤めていたが、一年間仕事を休んでいたため、あまり仕事を回してもらえず、むしろ疎外感さえ感じていた。

そんな二人を結び付けて下さったのは担当が同じだったリハビリの先生だった。

入院中のK氏と2週に1度、私の外来のリハビリ担当の先生が偶然にも一緒だった。

リハビリの先生には入力の仕事が出来なくなったら、視覚障害者の方のために録音図書のボランティアをしたいという事を伝えていた。

K氏とは最初は挨拶程度の会話が多かったけれど、月日が経つにつれ、いろんな会話を交わすようになった。
そして私もK氏と会うのが楽しみだったし、会う度にK氏が回復していくのがわが事のように嬉しかった。

K氏が私に「よねちゃん、車いすに乗っていると人の目線が恐い」と言った事がある。

その言葉に私は「人の目線ばかり気にしていたら、外には出れんよ。きついかもしれんけど、勇気出して外に出よう!」と言って励ました。(今考えると失礼だったかも知れないが。)

K氏は私に会う度、笑顔で「調子はどがんや?」と声をかけてくれた。

ある時、K氏に、K氏の勤めている会社の関連であるカルチャースクールが開いているアナウンス講座に通ってみたいと相談すると、「よねちゃんの声量なら大丈夫!通ってみるたい。」と言ってくれた。

それから数週間後、K氏は退院し、私もその年の暮れに印刷会社を退職した。

年が明けて平成14年4月から約半年間、年齢や目的も違う仲間と出会い、アナウンスを学んだ。その仲間と一緒にラジオドラマを制作した。この仲間と出会っていなければ、今日まで続いたかどうか分からない。

K氏はその後、激戦といわれる夕方の情報番組のメイン司会を担当しており、その他に、本を出版したり、局の主催するコンテストに関わったりと大忙しだ。

そんなK氏と私は、お互い通称で呼び合う。時々、K氏にメールをする。良かった事も悪かった事も、身体の事も、親には言えないような事もK氏になら打ち明けられる。仕事の事で迷い、アドバイスを受ける事も。

K氏をはじめ、アナウンス講座の先生方やコミニティFMのスタッフ、テレビ局の関係者の皆さん、新聞記者さん、そして取材先でお世話になった方々…。

本当にこの5年間で多くの方々と出会った。

そしてその輪が少しずつ広がっている事を感じている。

K氏の昇進が発表され、祝いの言葉と近況報告をメールしたら、返事に「今は出世よりも仕事優先。番組頑張るよ」と書いてあり、途中には「身体の調子はどうかな?あまり無理せずに頑張れ」と書いてあった。

仕事の事で時々熱くなり過ぎる私の性格を分かっているのだろう。K氏の言葉が私の心の中で歯止めになっている事が度々ある。

K氏は私にとって大切な友人、いや兄貴的存在だ。