第8章「イエスとの対面」 | Sojourner's Journal

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‘人はみな草のようで、
その栄えは、みな草の花のようだ。
草はしおれ、
花は散る。
しかし、主のことばは、
とこしえに変わることがない。’
Ⅰペテロの手紙1:24&25

先週の続きで、今日は、ジム・ウッドフォードという人が書いた「HEAVEN」(天国)という本のクライマックスである、第8章のまとめをしておこうと思う。

 

第8章のタイトルは、「Face to Face with Jesus」=「イエスとの対面」となっている。

 

イエスの現われは、崇高そのものであり、その御姿は金の光が広がるようなものであった。その金の光にジムは包まれた。

その御顔は、(よく子ども用の聖書に描かれているようなものではなく)筆舌に尽くし難い美しさであった。

特にイエスのその目は、打ちのめされるほど崇高なものであり、現在思い出しても涙が溢れてくるほどのものであった。その目は、憐み(Compassion)と、イエスを知らない者への悲しみに満ちたものであった。

天使たちはイエスの前にひざまずき、辺りは静寂に包まれた。

天使たちが、イエスの前にジムのいのちの書を持ってきた。それはひどく薄っぺらいパンフレットのようなものだった。ジムは、イエスとの繋がりを持っていなかったが故に、そこには何も書かれていなかったのである。ジムの心は悲しみのために深く深く沈んでしまった。

そこに、「イエスの心」が浮かび上がってきた。それはJoy(静かな喜び)であった。イエスの喜びは、ジムが何か善行をしたからといったものではなかった。そして、その薄っぺらいジムのいのちの書はそこに閉じられたのであった。

それからイエスは、ジムの名を呼ばれた。(ジムは通称で、本名はJamesらしい。)イエスは、「ジェイムズ。」と彼を呼ばれた。イエスは、私の名をご存知なのだ!

そして次にジムに、「わたしの息子よ。」と語られた。・・・これは、父なる神の代弁であると思う。地上の父を2歳の時に亡くしたジムにとっての人生は、常に「父を求める旅」であった。その彼の究極の願いに、父なる神はそのひとり子イエスを通して応えられたのだった!

そして最後に、「戻って、兄弟姉妹たちに、わたしたちが示してきた不思議(Wonders)を述べ伝えなさい。」と言われた。イエスのそのことばは、提言といったものではなく、神に与えられた任務であった。

 

以上が第8章の簡単なまとめである。ジムはこの世に戻ってくるのが嫌で嫌でならなかったが、イエスからの任務を預かってこの世に戻らされたのである。

 

イエスは、饒舌に語ることはなさらない。ことばは少なく簡潔に的を突いている。そのこともとても印象に残った。この世では、饒舌で滔々と語る人の方がもてはやされる傾向があるので、私としては非常な励ましとなった。

 

ジムは、この出来事から何年か経た今でも、イエスとの再会を心から楽しみにしているそうである。

 

私も、いつの日かイエスさまと対面できる日を心から待望するものである。

 

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7月と8月はブログの夏休みを取りたいと思います。

皆様もどうぞお元気で、暑い夏を乗り越えていってくださいますように。

「聖霊による喜び」(1テサロニケ1:6)をもって過ごすことのできる私たちは、なんと祝福されていることでしょう!