マイヒーロー

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今、自分が熱くなっているアーティスト、バンドって日本人のパンクロックのバンドが多くなって来ていますが、今日はその辺の事情について話しをします。  

以前は邦楽より海外のアーティスト、バンドの方を多く好んで聴いていました。

ハイスタ不在になった2000年代は、それに拍車をかけるように洋楽の方が熱くなっていたのは事実です。

2000年代でまともに聴いていた日本のバンドって、BRAHMAN、Ken Yokoyama、(不在でも)Hi-STANDARD、ELLEGARDEN(活動休止はしばらくは信じられなかったです。)、BOOM BOOM SATELLITES、The Birthday、DRAGON ASH、THE MAD CAPSULE MARKETS(活動休止で結構凹みました。)、KEMURI(解散しました。KEMURIも凹みました。)、RIP SLYME、TOTALFATくらいで、クロマニヨンズやホルモンも聴いていたけど、今ほどではなかったですね。

やっぱりOASISとかMUSEとかSYSTEM OF A DOWNとかGREEN DAYとかTHE OFFSPRINGとかRADIOHEADとかBECKとかARCTIC MONKEYSとかRED HOT CHILI PEPPERSとかWEEZERとかFALL OUT BOYとかNOFXとかKORNとかBLINK-182とかNINE INCH NAILSとかEMINEMとかRAGE AGAINST MACHINEとかTHE ENEMYとかRISE AGAINSTとかPARAMOREとかMxPxとかZEBRAHEADとかTHE WHITE STRIPESとかYeah Yeah YeahsとかMY CHEMICAL ROMANCEとか311とか、YELLOWCARDとかFLOGGING MOLLYとかRANCIDとかLINKIN PARK等いくらでも出てくるが、洋楽を聴くのが本当に楽しかった時代です。
だからこそ、フジロックにも、サマソニにも、パンクスプリングにも参戦するようになったのですね。


しかし自分の音楽傾向が変わりだす契機となった年は2011年です。

震災前からブラフマンもハイスタも健さんも日本人アーティストの中ではよく聴いていました。
しかし、震災後のBRAHMANの復興支援活動、そして、ハイスタが横浜スタジアムでのエアジャムの活動再開で自分自身が持っていたパンク魂に火を付け、2000年代に眠っていた何かがあって目が覚めてしまった。

それでも、その頃はまだ洋楽が強かったが、次第に日本のパンクロックに移行して行った。

特にトシロウと健さんの行動が震災前のときと違うのは明白で、彼らのメッセージに何度も泣いた。
同じ日本人として凄く共感させられた。
2000年代の頃の自分はまだ格好つけていた所があったけど、2011年を機に、真っ向に生きるようになって来た。
確かに自分でも変わったと思う。

2012年にはKEMURIやHUSKING BEEが再結成し、再びヒロトとマーシーに熱を入れるようになり、クロマニヨンズに向かって行って、日本のパンクバンドのイベントにも積極的に参加するようになって来ました。

これまで行ったライヴで日本人アーティストのライヴは10回中3回くらいだったのが、2013年頃には逆転して行った。

正確に言うと、洋楽離れしたのではなく、自分の精神的な支えになったのは日本のパンクロックバンドで、そこに活路を見出すようになった。

世界に通用するとか、しないとかはどうでもよくなって来た。
自分の心の中に音楽、そしてメッセージさえ届けば、それで良くなって来た。

今の自分を目を覚めさて大きく変えたと言うことで、俺にとってのマイヒーローはBRAHMAN、Hi-STANDARD、Ken Yokoyamaなのである。

やっぱり自分の心の中にヒーローは存在するものだと思います。

月末から池袋でスタートするハイスタの写真展も楽しみです。