宮部みゆき 希望荘 | パンクフロイドのブログ

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私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

杉村三郎シリーズの4作目で4つの中篇が収録されています。

前作で妻の不倫が原因となって離婚し、義父が経営する今村コンツェルンの仕事も辞め、

再び独身となって探偵事務所を開設してからの活動が描写されています。

 

聖域

北区の尾上町で探偵事務所を構える杉村三郎は、調査会社<オフィス蛎殻>から下請けの仕事を回してもらいながら、細々と生計を立てています。そんな三郎に、探偵事務所の初仕事が舞い込みます。依頼人は単身者用のアパート・パステル竹中に住む初老のOL盛田頼子。彼女は同じアパートに住む老婦人の三雲勝枝が亡くなったにも関わらず、外出先で車椅子に乗り、それを押している若い女性と楽しそうに話すのを目撃したことを話します。勝枝は年金暮らしで質素な生活をしていたのに、頼子が目にした時はお金をかけてお洒落をしていたことも不信感を募らせました。三郎が関係者に聞き込みを始めると、勝枝は部屋を片づけた上で、巡回管理人に電話をかけ「家賃が払えなくなり、生きていくのがしんどいから死にます」とメッセージを残していたことが分かります。更に大家の次男の嫁の証言から、勝枝が女手ひとつで娘の早苗を育てたこと、早苗が宗教にのめり込み、母親から金をせびり続けたため、着の身着のままでパステル竹中に転がり込んだことも明らかになります。三郎は母娘が以前暮らしていたエンゼル森下を探しあてます。そこには早苗が入れ込んでいる団体「スターチャイルド」に所属する3人の女性が同居しており、しかも早苗の行方が分からず、連絡も取れない状態と言います。そんな中、三郎は年金暮らしの慎ましい老人が、突然裕福になれる方法を思いつきます。彼は勝枝の残したガラクタの中から、手がかりになりそうなものを見つけ、ある店に出向きます。

 

亡くなったはずの老婦人を目にしたから調べてくれという依頼が、失踪事件の様相を呈し、やがて宗教団体に絡んだことを匂わせながら、実は・・・と読者をミスリードする宮部みゆきのテクニックは健在です。自己チュウの早苗のダメ女ぶりと悪意に辟易させられる一方で、スターチャイルドに所属する一人・ベルの抱える過去を気遣い、優しい言葉をかける三郎の思い遣りに救われる一編でした。

 

希望荘

イタリアンレストランを経営している相沢は、介護施設に入居していた父親の武藤寛二が、生前自分が昔殺人を犯したことを仄めかす話をしていたことが気になり、杉村三郎に父親が殺人者であるのか調査を依頼します。相沢が子供の頃に、母親の浮気から両親は離婚し、入り婿の寛二が相沢家を出ていった経緯がありました。母方の実家に育てられた相沢は、父親とは音信不通になっていましたが、相沢のレストランがテレビで紹介されたことがきっかけで、父子は再会することができ、その後は寛二が体を悪くするまで一緒に同居していました。寛二が殺人を仄めかす話を聞いたのは相沢だけでなく、介護施設の柿沼主事、見山介護士、若い清掃人の羽崎も話を耳にしています。三郎は寛二の告白した昭和50年の事件を調べていきますが、該当する2件はいずれも犯人が逮捕されており、解決済みとなっていました。三郎は事件の起きた土地に長く暮らす老人の話から、犯人が警察に出頭した際に、付き添っていた人物が寛二であることを確信します。

 

こちらもなかなか魅力的なプロット。寛二は本当に殺人を犯したのか?なぜ今頃になって、過去の事件を蒸し返すのか?三郎にはこの二つの疑問が投げかけられます。やがて問題の核心が、故人が誰に向けて語っていたのかに思い至り、ほとんど注目されなかったある人物が浮かび上がります。同時に、寛二が過去に手酷い仕打ちを受けたことにより、他人に窺い知れぬ方法で、ある人物の苦しみを解放させようとしたことが明らかになります。そして、寛二と孫の交流のエピソードで全てが洗い流されると思いきや、昭和50年に起きた被害者の遺族からかかってきた電話によって、ざわついた気持ちにさせられるところが一筋縄ではいきません。

 

砂男

三郎が新宿駅へ歩いていると、<なつめ市場>の店長・中村に呼び止められます。二人はシティホテルで飲み物を飲みながら近況を語り合って再び別れます。中村の後ろ姿を見送りながら、三郎は過去に起きた事件に思いを馳せます。離婚直後、三郎は故郷の山梨に戻り、<なつめ市場>で商品の運搬、陳列、販売、補充、整頓、配達などの仕事をこなしていました。ある日、得意先の<伊織>が注文したまま、商品を受け取りに来ないため、三郎が様子を見に行くこととなります。店は準備中の札が下がっていたため、店を経営している巻田夫妻の住まいを訪れます。すると、憔悴した典子夫人が現れ、夫の広樹が家を出て行ったこと、夫が不倫をしていたことを告げ、その場で倒れてしまいます。夫人は救急車で病院に搬送され、<伊織>はそのまま閉店します。その後、三郎は配達先の斜陽荘で、調査会社<オフィス蛎殻>の若き所長・蛎殻昴から、巻田広樹の失踪に不審な点があるため、典子の見舞いがてら、彼女に揺さぶりをかけることを依頼されます。広樹の不倫相手と見られる井上喬美も、母親に3度メールを送ったきり行方不明になっており、母親は娘が殺されているのではないかと心配していたからです。しかも、広樹には中学2年の時に、失火で母親と妹を失った過去があり、彼が放火した疑いをかけられていました。そのために、喬美の安否が気遣われていました。三郎は典子の実家の店<まきた>を訪れますが、典子は入院中で彼女の母親が応対します。彼はその場で典子が妊娠中であることを知らされます。更に夫の失踪後、広樹から送られてきた自筆の手紙も見せられます。やがて、<オフィス蛎殻>の調査網により、喬美のクレジットカードの使用履歴を辿り、喬美本人が見つかります。三郎と蛎殻昴は喬美に会い、彼女の口から思いもよらぬ事実を聞かされます。

 

この中篇を読んで、まず思い浮かんだのはエラリー・クィーンの「災厄の町」。この物語は過去の出来事を別にすれば、殺人は起きていなく、話の筋に関しては「災厄の町」とは別物なのですが、巻田広樹の取る行動とその動機が、「災厄の町」で容疑者にされたジムを連想させるのです。もちろん宮部みゆきは、妻への献身と自己犠牲の要素を「災厄の町」から借りつつも、手を変え、品を変え、ヒネリも加え、クィーン作品とは一線を画した中篇に仕上げています。宮部みゆきらしい優しい視線に救われる思いがする一編でした。

 

二重身 ドッペルゲンガー

東日本大震災から2ヶ月後、杉村探偵事務所に女子高生が依頼に訪れます。依頼人は伊知明日菜で、母親とつき合っている昭見豊が行方不明になっているので、安否を確かめてほしいと頼まれます。昭見はアンティークショップAKIMIを経営しており、震災の起きる前日に、アルバイトの店員・松永に東北に買い付けに行くと言って出かけたきり、何も連絡がない状態でした。三郎は未成年の依頼は引き受けられないと断った上で、妥協案として手数料の発生しないボランティアで調べることを約束します。彼は明日菜の母親・千鶴子に会い、娘がAKIMIで万引きした事実を聞かされます。彼女は高校の悪い仲間に強要されて万引を働いた形跡があり、昭見は警察に訴えずにシングルマザーの千鶴子に連絡しました。そのことがきっかけとなり、昭見と千鶴子は親しくなった経緯がありました。更に、三郎は昭見の兄である寿とも接触し、弟が千鶴子との結婚を考えていたことを知らされます。そして、寿はAKIMIの店員・松永が明日菜に好意を持っていることも仄めかします。やがて三郎は、明日菜に万引を強要していたナオトとカリナの話から、昭見が千鶴子にプロポーズするために、高価な結婚指輪を購入していたことを突き止めます。そして、自分が未曾有の大震災に目を眩まされ、ある人物の存在を見逃していたことに気づきます。

 

この物語の主人公に限らず、東日本大震災の以前と以降とでは、生活が一変した人、激変しないまでも影響を受けた人は多数います。その時、自分が何をしていたかを思い出せる天災、事故、事件は、生きているうちで数えるほどしかありませんが、そのひとつが東日本大震災。遺体が発見されず、未だに行方が分からない方もいて、本作は天災を巧妙に隠れ蓑にした犯罪の物語になっています。ただし、犯罪は決して許されない行為であるものの、犯罪者側の背景を考察すると、社会の底辺に生きる者が、微かな願いすら叶えられず衝動に走った悲痛さも浮かび上がってきます。傍から見れば愚かにしか見えなくとも、追い込まれた当人は必死であり、そのことが余計にやるせない気持ちにさせられます。