はじめますて。
1991年4月27日生まれの29歳でし。
僕のことはアキラと呼んでね。


親戚中ほとんどが柔道やってた影響で、ちーちゃい頃から柔道やってました。
男三兄弟の末っ子で、それはそれはバチバチにいじめ抜かれてスクスク育ちました。
よく末っ子は甘えん坊とか言うけど、兄貴にボッコボコにしばかれながら育ちました。おかげで大抵の事には動じないし、耐えれる体になりました。

小学校では児童会長(中学でいう生徒会長)、中高では柔道部主将で一年のほとんどを坊主頭で過ごしていました。ちなみに小学校の全校生徒は700人くらいで田舎にしちゃ多い方なの。
高校は県外からの推薦で、スポーツ特待生。
危うく大学も柔道でぶちこまれるところだったけど、必死で回避。
遊びたかった。。とにかく高校を出たら遊びたかった。都会に行きたくて上京!…とはいかなく隣県の埼玉の大学へ進学。

バリバリの文系だったのに、攻めてみたいという理由だけで理系の学部に。
勉強はちんぷんかんぷん、周りには特撮ヒーロー大好き野郎、友達いない芸人、かっこつけピーマン…etc

学部の8割が宇宙人に見えた(自業自得)
1割の友達と1割の女子。
コレやっちまったって思ったよね。

大学からストリートダンスを始めた。
高校のときにTVの深夜番組でダンスやってて、絶対やりたいと密かに思っていたのだ。
ダンスは最高だ。ダンスのストーリーはまた今度載せていこう。

大学生活はめちゃくちゃ遊んだ。
そして、人当たりの良さと後輩の面倒見の良さからか俺には全ての学部に友達がいた。
最初は敬遠していた、宇宙人の中にも友達ができた。
ハタから見たら、カツアゲしてるみたいだとよく言われたもんさ。

授業はかなり難航した。
数学の先生が中国人でたまになに喋ってるかわからなかった。
物理教えてる教授は数式並べながら笑ってたな。すごく気持ち悪かった。
生物の時間はずっと教授の苔(こけ)コレクションを見せられたっけ。


勉強は苦手だが、根は真面目な俺は
ノートを誰よりもキレイにとった。
なんなら、友達に丸写しさせてやった。
ノート持込可のテストがあったからな!
友達はそのおかげで、授業1回もまともに受けてなかったけどS判定もらってた。も授業に出席した。
そんなこんなで俺は








留年した。


ここから俺の人生の歯車はズレ始めたんだと思う。少しの亀裂から、徐々に、JOJOに。

他の学部にも何人か留年確定した友達がいたけど、それは学校にも全然来てないし明らかに留年するだろう!って感じの奴らだったんだ!
皆んなは僕に言ったよ。
「お前はホントに期待を裏切らねぇな!」「面白すぎだろ!」「なんでお前が留年すんだよ!」

俺も笑っちまったが、内心は気が気じゃなかった。
親父には死ぬほど嫌味言われたけど、右から左へ受け流したよね。

留年の年に取らなきゃ行けない授業は、3つだけ。
これだけの為に1年延長したわけさ。



こんな感じで大学までをざっと、紹介してみました。
次回は就活編だ!テキトーに見てくれ!