初めて訪れた日からだいぶ月日が経ってしまいましたが
京都府八幡市にある橋本遊郭跡へ行ってきました

橋本は京阪の石清水八幡宮と枚方の間にある、無人の小さな駅ですが
電車を降りた瞬間いきなり視界に入るこの建物のインパクトに圧倒されます
駅から対岸に大山崎の見える淀川まではほんの100メートル程で
その間に今も多くの妓楼跡が当時の面影のまま残されています
淀川はちょうど桂川、宇治川、木津川の合流地点でもあるので
川幅はだいぶ広く、今は京滋バイパスで簡単に渡れますが
昔は渡し船で対岸へ渡っていたそうです

※今回のブログを書くにあたって、既に書かれていた
いくつかの素晴らしいブログを参考にさせてもらっています
京都府八幡市にある橋本遊郭跡へ行ってきました

橋本は京阪の石清水八幡宮と枚方の間にある、無人の小さな駅ですが
電車を降りた瞬間いきなり視界に入るこの建物のインパクトに圧倒されます
駅から対岸に大山崎の見える淀川まではほんの100メートル程で
その間に今も多くの妓楼跡が当時の面影のまま残されています
淀川はちょうど桂川、宇治川、木津川の合流地点でもあるので
川幅はだいぶ広く、今は京滋バイパスで簡単に渡れますが
昔は渡し船で対岸へ渡っていたそうです

※今回のブログを書くにあたって、既に書かれていた
いくつかの素晴らしいブログを参考にさせてもらっています
※二度来ているのですが、写真がかぶらないように織り雑ぜながら
1回分のブログとして書いていきます(天候の違う写真が入るのはそのせいです)
大阪方面へ向かう方のホームから改札を出るとすぐに
西遊寺というお寺があります

その横に、この橋本に渡し船があった頃の石碑が残されていました
柳谷観音、山崎停車所、善峰、粟生、長岡の5か所に行く船があったんでしょうか
奈良時代、聖武天皇が山崎に宝寺を建てた際に
毎年奈良から勅使を差し遣わしたそうですが
当時は川に橋が無かったので、724年山崎橋が架けられました
その時に橋の袂であったこの場所に一軒の茶屋ができたのが始まりで
“橋本”という地名がついたみたいです
しかし、度重なる淀川の氾濫で何度も橋が流されたことで
渡船場が置かれるようになり、昭和37年まで運行してその役目を終えました

石碑の先にあるこの巨大な建物
門は大きく開いたままになっていて、御社も荒れたまま放置されてるし
最初はただの廃墟かと思ったんだけど
たまたま通りがかったお隣の食品店の奥さんが
遊郭時代の検番跡だと教えてくれました
検番っていうのは、花街の芸妓さん達の花代や

その横に、この橋本に渡し船があった頃の石碑が残されていました
柳谷観音、山崎停車所、善峰、粟生、長岡の5か所に行く船があったんでしょうか

奈良時代、聖武天皇が山崎に宝寺を建てた際に
毎年奈良から勅使を差し遣わしたそうですが
当時は川に橋が無かったので、724年山崎橋が架けられました
その時に橋の袂であったこの場所に一軒の茶屋ができたのが始まりで
“橋本”という地名がついたみたいです
しかし、度重なる淀川の氾濫で何度も橋が流されたことで
渡船場が置かれるようになり、昭和37年まで運行してその役目を終えました

石碑の先にあるこの巨大な建物
門は大きく開いたままになっていて、御社も荒れたまま放置されてるし
最初はただの廃墟かと思ったんだけど
たまたま通りがかったお隣の食品店の奥さんが
遊郭時代の検番跡だと教えてくれました
検番っていうのは、花街の芸妓さん達の花代や
もろもろの取り締まりなんかをする事務所のことなので
本来、娼妓しかいない遊郭には必要のないものなんだけど
この橋本遊郭には全盛期、芸妓さんも多く在籍していたようなので
やはり検番跡で正しいのでしょう
ただ、歌舞練場として使用されていたみたいです
大正11年に、当時10万円という大金をかけて建てられた立派な建物で
やはり検番跡で正しいのでしょう
ただ、歌舞練場として使用されていたみたいです
大正11年に、当時10万円という大金をかけて建てられた立派な建物で
当時は二階席もある大きな舞台があり
芸妓さん達の踊りやお芝居が見られたみたいです
遊郭がなくなってからも映画館として使われていたらしく
芸妓さん達の踊りやお芝居が見られたみたいです
遊郭がなくなってからも映画館として使われていたらしく
大変賑わっていたそうです
掛けられていた看板の文字は
掛けられていた看板の文字は
もはやなんと書かれていたのかわからない程に朽ちていましたが
よく見ると何度か書き直された跡が見えます
元々は縦にして使われてたっぽいですね
娯楽施設としての役目を終えた後は天壽荘という名のアパートに改築されたそうで
娯楽施設としての役目を終えた後は天壽荘という名のアパートに改築されたそうで
左端にかろうじて“天”という字が確認できました

横に回ると木製の階段があり、踊り場に吊るされた電球が点いてました
門やドアがあるわけじゃないので、そっと階段をのぼってみました
バキッと壊れそうな階段です
これは絶対人住んでるわ
思ったより二階が明るくて、先がめちゃ気になる
でも、この辺りからさすがに勝手に侵入できないと思って声をかけてみた
「ごめんください」
・・・
「すいませーん」
・・・
「どなたかいらっしゃいませんか?」
シ───('ェ')───ン
この異様な天井模様にさすがにびびって階段をおりてしまった(笑)
天壽荘の裏側に回ってみる
・・・
これ、ほんまに人住んでるんかな?
天壽荘を離れて裏手の男山方面に歩いていくと
四区公会堂と、ちょっとレトロな書体で書かれた建物(*`Д『+』)ハッケン!!
この先は山を切り開いて作った新興住宅地があるだけなので
駅方面に引き返します
駅から西を歩いてみよう
線路沿いを歩く

もうすでにここも、そうだろ!って感じの格子窓
キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!
おもいっきり郭跡!素敵物件!
タイル!!!

普通に個人宅として使われてます

二階の擬宝珠付きの手摺と見事な透かし彫りのついた欄間窓
素敵なガラス戸に(ღˇ◡ˇ)♥ ウットリ

松竹梅の透かし彫りが美し過ぎた・・・
そしてタイル
その向かい側に見えた建物の二階窓
通りの突き当りの建物
(一階を駐車場にして、個人宅として使用中)
二階の窓
隙間が開いてしまってます
このおうちの窓が、むっちゃ素敵なんです
ガラスのチョイスが、おしゃれやなぁ・・・

ここからいよいよメインストリートに入ります

左のおうちのタイル

数年前に書かれた他の人のブログと見比べると
現在はなくなってしまってる建物もけっこうあって
こんなに貴重な建物が残っている街なのに文化財登録すらされていないので
街の人の残そうとする意識が無くなれば
明日にでも消えてなくなってしまいそうな感じが悲しいです
建物が取り壊された空き地の中に佇む錆びたトタンで覆われたこの家も
当時はもっと趣のある建物だったんでしょうね
住宅として使われているおうちもありますが、廃墟も多いので
ただただ無くならないことを祈るばかりです
メインストリートの写真は次のブログで

横に回ると木製の階段があり、踊り場に吊るされた電球が点いてました
門やドアがあるわけじゃないので、そっと階段をのぼってみました
バキッと壊れそうな階段です
これは絶対人住んでるわ
思ったより二階が明るくて、先がめちゃ気になる
でも、この辺りからさすがに勝手に侵入できないと思って声をかけてみた
「ごめんください」
・・・
「すいませーん」
・・・
「どなたかいらっしゃいませんか?」
シ───('ェ')───ン
この異様な天井模様にさすがにびびって階段をおりてしまった(笑)
天壽荘の裏側に回ってみる
・・・
これ、ほんまに人住んでるんかな?
天壽荘を離れて裏手の男山方面に歩いていくと
四区公会堂と、ちょっとレトロな書体で書かれた建物(*`Д『+』)ハッケン!!
この先は山を切り開いて作った新興住宅地があるだけなので
駅方面に引き返します
駅から西を歩いてみよう
帰りに再チャレンジ!

線路沿いを歩く

もうすでにここも、そうだろ!って感じの格子窓
キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!
おもいっきり郭跡!素敵物件!
タイル!!!

普通に個人宅として使われてます

二階の擬宝珠付きの手摺と見事な透かし彫りのついた欄間窓
素敵なガラス戸に(ღˇ◡ˇ)♥ ウットリ

松竹梅の透かし彫りが美し過ぎた・・・
そしてタイル
その向かい側に見えた建物の二階窓
通りの突き当りの建物
(一階を駐車場にして、個人宅として使用中)
二階の窓
隙間が開いてしまってます
このおうちの窓が、むっちゃ素敵なんです
ガラスのチョイスが、おしゃれやなぁ・・・

ここからいよいよメインストリートに入ります

左のおうちのタイル

数年前に書かれた他の人のブログと見比べると
現在はなくなってしまってる建物もけっこうあって
こんなに貴重な建物が残っている街なのに文化財登録すらされていないので
街の人の残そうとする意識が無くなれば
明日にでも消えてなくなってしまいそうな感じが悲しいです
建物が取り壊された空き地の中に佇む錆びたトタンで覆われたこの家も
当時はもっと趣のある建物だったんでしょうね
住宅として使われているおうちもありますが、廃墟も多いので
ただただ無くならないことを祈るばかりです
メインストリートの写真は次のブログで













