叔母を想う
少しは気が紛れるかと思い、こうしてブログを書いている。
一昨日の朝、山陰に住む従弟から連絡が入った。
叔母が救急搬送された。危篤だという事だった。
その日の昼過ぎに亡くなった旨の知らせが入った。
つい先日、退院したと聞いたばかりだったので、何が起こっているのかうまく理解できなかった。
秋口、従弟が叔母はだいぶ弱っいると言っていたので、何とか会いに行かなねばと思っていた。
こうしてずるずるとしていた事が悔やまれてならない。
学生時代、長期休みは、二つの親戚宅で過ごす事が多かった。
(勿論、従兄弟たちがうちに泊まりに来る事もあった。
僕は親戚がガヤガヤと行き来するのが当たり前のように育った。特に夏休みは、日々お祭り騒ぎだった)
その一つが山陰にある親戚宅だった。
山陰の親戚宅は母の実家でもある。
叔母は町で唯一?のテーラーだった。
僕の母もテーラーであり、母が嫁いだあとの仕事部屋をそのまま叔母が引き継いだ。
叔母も母も洋服だけではなく、着物の仕立ても請け負っていた。
その町がそうだったのか、そういう時代だったのか、兎に角、休む暇がないほどテーラー〇〇は忙しかった。
それでも、僕が行くとなると歓迎してくれ、あれこれ面倒をみてくれた。
少なくとも数週間は居候するのだ。大変だったろうと思う。
叔父も時間を作っては、自然の中での遊びを教えてくれた。
山陰の家は気の置けない従弟がいた事もあり、僕にとっては親戚というより家族のような存在だった(今もそうだが)。
従弟とは奇しくも同じ大学で、しょっちゅう彼の下宿アパートで寝泊まりした。
そんな事もあり、叔母は僕を我が子のように可愛がってくれた。
そんな大切な人なのに、外せない仕事や諸々の事があり、最後のお見送りにも行ってあげられなかった。
「だから、こんな仕事のやり方をしてちゃいけないと言ってただろ」と、頭の中で僕の悲嘆に暮れた声がする。
考えても仕方ないが、取り留めのない事を考え続けている。
従弟はそんな僕を慮って優しい言葉を掛けてくれる。まるで、逆じゃないか。
先ほど、従弟から無事葬儀が終わったと連絡が入った。
気丈な声だった。多分、僕の方が情けない声だったと思う。
田舎の付き合いはあれこれ面倒だというけれど、こんな時は心の支えになる。
親戚中が集まって、一から十まで段取りをしてくれる。
近所の人たちや友達が駆けつけてくれる。
・・・淡々と流れる時の流れに抗いたい事もあるし、時の流れを願う事もある。
人とは身勝手なものだ・・・