影遊び そのニ - 影送り -
・・・おそろしく昔の話だ。
中学陸上競技大会の大阪市予選(だったかな?)に出場した事がある。
当時、うちの中学校は陸上部がなかった為、急遽、全学年から選手を選び出し、期間限定の陸上部がつくられた。
初の試みだという事だったが、何故そんな寄せ集めの陸上部を作ってまで参加しなくてはいけなかったのか?
どうやってメンバーを選出したのか覚えていないが、僕は三段跳びの選手として予選に出る事になった。
ついでにスウェーデンリレー200mの予備選手にもあてられた。
練習期間は僅か1ヶ月。中学2年の夏休み前の事だった。
男子は大阪府大会には進めなかったが、そこそこの成績だった。
少しだけ自慢にもならない自慢をしたいのだが、僕はその予選で大会新記録をだした。
勿論、弾みだ。火事場の馬鹿力以外の何物でもない。
・・・ただ、それは一瞬の事で、その直後、僕を上回る記録を出した選手がいた。
身長180㎝を超える長身だった。多分、僕は160㎝半ば位だったと思う。
「それはないやろ」と、その選手を見上げた事を覚えている。
多分、女子は大阪府大会に駒を進めたと思う。
まあそんなふざけたような事をやっている間、僕は大きな顔をして剣道部の稽古を休めた。
夕日が差し込むグランドで、真っ黒に日焼けした僕たちは、まるで昭和時代の青春映画のように飛び跳ねていた。
それはもうお祭り騒ぎのような日々だった。
練習が終わり校舎に向かう僕たちの影は、驚くほど長く伸び、それは校舎を乗り越え空にも届くような気がした。
それを見た一人が「影送りのようやな」と言った。
その時、僕は初めて影送りという言葉を知った。
そう言った誰かさんは、「影送りというのはな・・・」と、続けた。
日差しの強い日の日中、瞬きをせずに自分の影をじっと見る。
もう我慢出来ないというくらい頑張って睨みつける。
そして、素早く目線を空に移す。
そうすると、そこに白っぽい自分の影が映し出される。
そんな説明だった。
(CMチョコベーに似たようなやつだ。ちょっと古いか・・・)
早速、何人かで試したが、うまく出来なかった。
夕日では日差しが弱かったのかも知れない。
空に映る自分の影は、単なる残像だと言ってしまえばそれまでだが、
影送りという言葉が妙に幻想めいていて、僕たちのすぐ隣には普段気付くことのない世界があるのか? と、僕をざわつかせた。
その時の事を思い出すと、ある夏休みの小学校の校庭が連想される。
門を乗り越えたのか、門の鍵がかかっていなかったのか?
兎も角、夏休みのとある日、僕は夕暮れ近い校庭に入った事がある。
小学校近くに住んでいた友達んちに遊びに行った帰りの事だ。
当然、あっという間に当直の先生に見つかり、職員室に連れていかれた。
職員室前の廊下から見えた校庭は、自分の知っている校庭とはまるで違って見えた。
子供たち、つまり僕たち生徒の消えた校舎や校庭は、しんと静まり返っていて少し怖かった。
校舎の物陰や校庭の古い木々の陰から、異形の妖怪がそっとこちらの様子を窺っているような気がした。
当直の先生も実は物の怪ではないかとさえ思った。
子供の頃は、大人になると見えなくなる世界が、石ころのようにあちこちに転がっていた。
それを僕達は、嬉々として拾い上げ空に放り投げる。或いは恐る恐る空に放り投げる。
放り投げられた石ころは、驚いたように様々な光を放つ。
光には、様々な物語が詰め込まれていた。
見るもの聞くものが、キラキラと輝いていた。
少年時代の僕が、日々仕事に追われくたびれ果てている僕を見ると、
随分つまらい大人になったんだねと、気の毒そうに言うだろう。
いやいやこれが現実というものだよと言いたいが、確かに僕はつまらない大人になってしまっている。
この記事を書いていて、いつの間にか仕事の為に生きているような自分にハッとした。