入院1日目前編〜転倒→救急搬送〜 | 大腿骨頸部骨折からの人工股関節置換術(前方)&橈骨頸部骨折の記録

大腿骨頸部骨折からの人工股関節置換術(前方)&橈骨頸部骨折の記録

同じような目にあった方の参考になればという想いを込めて、転倒→大腿骨頸部骨折→全人工股関節置換手術(前方)→リハビリ→復職の日々を綴ります。
※退院翌日、右橈骨頸部骨折発覚→右腕固定生活というイレギュラーが発生

6/30日曜日

アメリカから帰国した友人と8年ぶりの再会。総勢10名分お店の予約をしたり、お土産を買ったり張り切って準備していたが、木曜日の晩、父のコロナ陽性判明。

金曜日、母も体調を崩したのでかかりつけ医へ連れて行き陽性判明。

15分以上近距離で接触した私は濃厚接触者となる。

土曜日、帯状疱疹かも、という父をかかりつけ医に連れて行き、更に濃厚接触者となる。

そして迎えた日曜日。

コロナの症状は無く、医療的には濃厚接触者でも社会的には濃厚接触者という枠がなくなったので、出掛けることにする。

11時に難波のお店を予約しているので幹事としては早めに到着しておこうと10時に出る予定だった。

9時45分。

さあそろそろトイレに行って出掛けるか、と立ち上がったのが運の尽き。

体幹を鍛えようと1年ほど前に購入したものの、あまり使うことも無かったバランスディスクをうっかり踏みつけバランスを崩して大転倒。

右半身をこれでもかとフローリングに打ちつけた。

咄嗟に痛む右半身を庇って左を下に転がり直したが、そこから少しも動けない。


いやいやちょっと痛いだけやんな。

今からでかけるんやから。

8年ぶりやで?

10人集まるんやで?

ちょっと休んだら治るよな?


数分休んだものの、滲み出る脂汗。

やったな、これ。


左足の上になった右足は少しも動かない。下敷きになった左足を動かそうとすると右足に激痛が走る。

やったわ、これ。


8年ぶりの再会は諦めた。

それにしても連絡はせな。

スマホまでの距離2メートル。

どうすんねん、これ。


身体の下のカーペットを掴むが右手も逝ってる。

唯一生きてる左手でカーペットを掴み、身体を時計回りに回転させようと悪戦苦闘すること約5分。脂汗でビッショリになりながらなんとか命綱に手が届いた。


『ごめん!家出る直前にこけて動かれへん!』

『ちょっと今日は無理やわ』

『2軒とも私の名前で予約してるから』


今日の主役にそれだけ連絡し、コロナ療養中の両親に

『家出る直前にこけて身動き取れなくなった。救急車呼ぶから鍵だけ開けてくれへん?』と連絡。

幸いにも団地の上下階に住んでおり、コロナ療養中で自宅にいたためすぐに来てくれた。

心配して入ってこようとしたが、ここでコロナに感染するわけにいかないのでとりあえず2人にはすぐに帰ってもらい、救急車の要請。


去年の秋、母が自宅前で転倒し、大腿骨を骨折。人工股関節を入れる手術をして2ヶ月入院した。

その時母は救急車を呼ばず、近所でも有名なヤブ医者に入院することになった。病院に交渉して転院させてもらうのに3日、手術まで5日かかりとても大変だったので、今回は即救急車を依頼。

まあ少しも動けないから救急車を呼ぶしか無かったんやけど、躊躇は無かった。


救急隊員が来てくれ、状況確認。

症状に加えて下の階に両親が住んでいるがコロナ陽性で、私自身は濃厚接触者であることも伝えた。


この時点で私は骨折、入院、手術を覚悟。出かける準備をしていたカバンに加えてスマホの充電器と延長コード、ティッシュ、メガネを入れて欲しいと救急隊員に依頼。

咄嗟に掴んで頭の下に敷いていたクッションごと担架に乗せられ、寝室のタオルケットをかけてもらい搬送された。


ところでこの古い団地、どう考えてもエレベーターにストレッチャーは入らない。救急車呼んでもどうやって運ばれるんやろうと6年前の引越し当初から疑問に思っていたが、この度身をもって疑問を解消。

担架を斜めにして床に置かれ、隊員は1人だけ同乗。他の隊員は階段を駆け降りて一階でピックアップしてくれた。


それにしても搬送の痛いこと。

少しも動けないんで、プラスチックのような硬い素材の担架を体の下に左右から差し込み、真ん中でカチンと接合。

接合する時に肩肉を挟まれるし、階段で斜めになると重力がかかるし、その度に呻いてしまう。

救急車に乗り込んでからもなかなか受け入れ先が決まらず、病院に到着するまで約1時間。

患部は勿論、カチカチの担架に全体重がかかって左半身も痺れてきた。

更に救急車が動き出すとその衝撃が患部にひびく。元気だった左手は下敷きになっていて使い物にならず、痛めた右手で車体を掴み、衝撃を吸収する術を体得。

なんとか病院に到着した。


搬送先を探す一方で家族の連絡先を聞かれる。我が家は大学1年生の娘と2人暮らしで両親とは上下階に暮らしているが、いま動けるのは娘のみ。

ただ水泳部の活動中なのでクラブが終わるまでは恐らく連絡がつかない、9時からだから多分11時くらいまでは無理だと思うと言っていたが、病院が決まらないうちに11時に。

スマホを見ていた救急隊員から、『いま娘さんから連絡入ってますよ』と言われた。

両親に助けを求めた家族LINEを見た娘がLINEしてきていた。

ことの重大さに気づいていない娘が、アメリカ友達と会う予定がキャンセルになったなら、遊んで帰って良い?とか、家に帰らなあかんの?とか両親とやりとりしている。電話をかけたらこれから記録会だから終わってからでも良いか?と聞かれたが、隣でやり取りを聞いていた救急隊員が電話をかわってくれ、『ちょうど今搬送先が決まったから今すぐ病院へ向かって』と言われた。


搬送先についたらまずコロナの抗原検査。陰性だったのでレントゲンやら足の検査に回してもらえた。

この検査がまあ激痛。ストレッチャーでガタンと揺れるだけで激痛なのに大人数人がかりで横向きから仰向けに体位変換され、服を脱がされ、ギャーギャー喚く。

諸々検査が終わって救急搬送室へ戻され、娘が呼ばれた。

もう18歳ということで、説明を受け、入院の手続きをしてもらう。

メガネをかけていなかったのでレントゲンは見えなかったが、想定通り、大腿骨頸部骨折。

今日は日曜日なので、明日以降主治医に説明してもらい、早ければ明日にでも手術になりますとのこと。

差額ベッド代が勿体無いので大部屋を希望したが、コロナ濃厚接触者ということで個室で隔離。病院都合で差額は発生しないので気楽で良かったが、出入りする看護師さん達は完全防備なので申し訳ない。


お昼ご飯を娘に買いに行ってもらい、おにぎりを食べながら少しだけ話をした。

記録会だったので部長には泳いでから帰るように言われたが、救急隊員にすぐ来るようにと言われてからは皆が協力してくれた。先輩は大学の門までタクシーを呼んでくれ、友人はタクシー代にと2万円貸してくれ、別の先輩は足りなかったらPayPay送るから、と言ってくれた。

お陰であっという間に到着し、娘が到着した時には救急隊がまだいたらしい。私は全く気づいてなかったけど、呻き声をあげながら検査に運ばれて行く様子も見ていたそうだ。


そんな話をしながら、持ってきた荷物を整え、明日は手術になりそうだからバイトを休んで荷物を持って来てねとお願いし、帰って行った。


↓うっかり踏んでバランスが取れるはずがないよね、これ。