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易経は竹筮の書ではない!

易経は、別に伝わる六十四卦に載せた北狄への潜入密偵の紀行文であって、竹筮占い哲学書ではない。これは、やはり張明澄著、ジアス・ブックス(久保書店)誤読だらけの邪馬台国-中国人が記紀と倭人伝を読めば-や、張明澄著、東明社、密教秘伝『西遊記』などの中国語読解、主には「かかり」や「言葉の区切り」上の和訳の間違いの指摘により大いに納得できるものである。
易経紀行文説については、張明澄著、THE ERATH BOOKS 10 久保書店、違いだらけの漢文
-中国を正しく理解するために-の中の、カピくさい研究-乾の初交から疑うべき易経の解釈-などに示されている。

それでも・・・「易経は竹筮の哲学書(ノストラダムスの預言書かバイブルの如し)でなければ困る」という向きも、とくに日本人の易者には多い。中国(台湾)では、易といえば筮竹易ではなく五行易ほかを示す。もちろん、五行易(断易)は易象も合理的な占いの哲学のひとつである。そうした易の象意に載せて易経では紀行文を羅列したのであろう。もちろん、くだんの北狄潜入の密偵は易の象意も理解していたことだろう。
だが・・・書いた易経は断じて哲学書ではなかった。それが、合理的な解である、というほかはない。

日本の占いの体系は、奇門遁甲→九星気学と変じておるなど(中国人(台湾人)に言わせれば)間違った和訳が多い。伝説の安倍晴明などは、そうした呪法を実用にしたそうだから
正伝もあったのだろうが、わざわざ難しい奇門遁甲を気學などに変換してしまうというのは、ただの簡易化だろうか。真伝が支那人から安易に伝わる(支那人が漏らす)はずがないから、わからないところを埋め上っ面だけで構成した無理な体系化の果てなのだろう。
支那では、時刻・日(12辰)・月(30日)・年(12月)・世(30年)・運(12世、360年)・会(30運、10800年)・元(12会、129600年)・・・と、すべて過去から未来も、干支が割り当てられており、まずは干支占いが成立する。この時々刻々に割り当てられた干支によって「推命術」と「方位術」が成立する。
「推命術」のほうは、四柱推命は時刻の干支を命運主星として四柱(年月日時)との関係で個人の宿命と行運をみる。
「方位術」のほうは、さまざまあるが・・・時々刻々に変化する干支と方位に割り当てられた干支との関係により吉凶位を占うが、ここに宿命としての個人・個有の星との関係から占う方位推命術も成立する。断易も基本的には「方位術」であり、時刻の干支との関係をきっかけに占う六壬神課も「方位術」のひとつである。


張明澄氏は、以下の五術の体系を示している。そもそも・・・以下の総合体系に、「聖書占い」の如き倭式筮竹占いは、支那人にとっては入れ込む余地はない。

いってみれば、易経=聖書の筮竹占いは、倭国個有の笑止千万な単純化なのだろう。つまり、正しい支那語が読めないことを利用して「単語レベル」で暗号解読化してしまうのだ。まさかと思うが、この手法は、タローカードの絵図の象徴と読み取りを応用したのかも知れない。ただし、本家のタローカードの方は、定められ動かしがたい象徴があって、そのカードの組み合わせを読むときに、こじつける他はない。

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・__・三__線・二__線・一__線・基本・
・五術・高__級・中__級・初__級・随所・
・__・多__数・複__数・単__独・応用・
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・命_・星__宗・淵海子平・紫薇斗数・__・
・__・七星四余・四柱推命・____・__・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・__・
・卜_・太乙神数・奇門遁甲・六壬神課・__・
・__・____・九星気学・____・__・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・__・
・相_・風__水・陽__宅・面__相・断易・
・__・地__相・家__相・人相手相・__・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・__・
・医_・霊__治・鍼__灸・方__剤・__・
・__・心霊療法・整__体・漢__方・__・
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・山_・符__呪・丹__鼎・玄__典・__・
・__・御__札・ヨ_ー_ガ・房中術等・__・
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・星宗とは西洋占星術に等しいが、これは正伝が伝わっていなくて西洋占星術からの後付けだろう。
・太乙神数も伝わっていない。
・風水とは地相で首都の選定などに使われたが、西洋で言えば磁場の走り方まで入ると思われるから、正伝は伝わらず・・・龍(地下水の流れを気の流れと言い換える)などを基調としている。したがって、不十分と思われる。
・霊治は、インドとかフィリピンなどのほうが優れていると思われる。
・符呪については、空海が宗家として伝えた密教のもののほうが優れていると思われる。こちらは道教からきたもの。
・丹鼎と玄典については、記憶違いかも知れない。

-張明澄氏の言う五術は、支那(台湾)透派の五術であり、拳法から剣法(棒術)武芸百般・兵法まで含まれる総合体系とされており、厳しい伝承システム下で失われたものも多いが、支那の伝統として偏、つまり極端な専門家した宗家は好まれなかったと思われる。したがって、諸葛亮孔明、司馬懿仲達などに代表される古今の賢人たちは、「全て」について将たる者に諫言・指導して、ほぼ全能の人であったようだ。日本では朱子学で有名な朱熹などは、偏であり支那人には受けはよくない。詩歌から武芸・兵法まで。日本人でいうと空海のような書聖でありバイリンガルであり、全ての知識を有する人のみが認められるのが、支那であったようだ。したがって支那には、茶道・華道・舞踊などという専門分化はないようだ。専門化・分化(偏向)したものは、「足りない」と二流以下のレッテルが貼られるようだ。よかれ悪しかれ、辺境の倭国では専門分化による専門宗家でよしとされる。孔子は、音楽演奏と舞と、葬式など儀式の専門家であったそうだが・・・この時代の後に、総合は図られたのかも知れないいずれにせよ、支那では賢人=軍師が最上級であり、皇帝(天子)は永遠の支配者ではない。つまり、支那人にとって諸葛亮孔明は永遠の英雄であるが、多彩な天才であっても(優れた人物ではあったが)魏王曹操猛徳の評判はよくない。

したがって、このような総合術の体系が支那には数多くあったと思われる。というよりも現代にも複数が残っていてもいいはずだ。


以下は、五行に割り当てられた性質である。

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・五・十・十二・本・五・方・五・五・五・五・五・五・五・五・五・鬼・六獣・五・_働_き_・五・五・五・
・行・干・_支_・能・徳・位・時・色・官・臓・体・気・事・労・門・門・__・臓・_____・志・色・味・
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・木・甲・_寅_・守・仁・東・春・青・鼻・肝・筋・風・貌・行・東・丑・_青_・肝・肝臓___・怒・青・酸・
・_・乙・_卯_・備・_・_・_・_・_・_・_・_・_・_・門・寅・_竜_・_・古い脳__・_・_・_・
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・火・丙・_午_・伝・礼・南・夏・赤・眼・心・皮・熱・視・視・天・辰・_朱_・心・心臓___・喜・赤・苦・
・_・丁・_巳_・達・_・_・_・_・_・_・_・_・_・_・門・巳・_雀_・_・新しい脳_・_・_・_・
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・土・戊・辰戌・引・信・中・四・黄・皮・脾・肉・湿・思・坐・中・中・勾騰・脾・消化器系_・思・黄・甘・
・_・己・丑未・力・_・央・季・_・_・_・_・_・_・_・央・央・陳陀・_・_____・悩・_・_・
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・金・庚・_申_・攻・義・西・秋・白・口・肺・脈・燥・言・臥・西・未・_白_・肺・肺臓___・悲・白・辛・
・_・辛・_酉_・撃・_・_・_・_・_・_・_・_・_・_・門・申・_狐_・_・皮膚機能_・_・_・_・
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・水・壬・_子_・習・智・北・冬・黒・耳・腎・骨・寒・聴・立・北・戌・_玄_・腎・腎臓___・恐・黒・鹹・
・_・癸・_亥_・得・_・_・_・_・_・_・_・_・_・_・門・亥・_武_・_・発育・生殖・_・_・_・
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時刻・日・月・年・・・に割り当てられた十干十二支の組み合わせにより、千変万化の占いの体系が考案された。
問題は-
諸葛亮孔明も、つい最近までも・・・現代のような暦が売っていたわけではないから、過去の賢人は、天文をみて狂いのない暦を得る必要があった。狂いのない暦ということは、総合術宗家によって、それぞれ個有の暦の補正によって暦上の十干十二支の割り振りを天上の星の運行に合わせていたということだ。
現代の占い師はというと、太陽暦がはいったために「閏月」などの思索が要らなくなって二十四節気を太陽暦に割り振って、補正は行っていない。したがって・・・所説あるが、冬至のころの甲子の日を基点にするとか、という思考に耐え切れず、ほとんどが西暦立春の日を以て一年の変わり目としてしまった。
ほんとうは、占い上は、この暦と基点の問題は重要である。だが、それに挑戦した現代の宗匠をみたことはない。でも、いることはいるはずだ。倭国にも(笑)。