思考も感情も常に稼動させていないと

体と同じで衰えていってしまいます。





物事をじっくり考えたり、

感性を刺激するような体験が

なかなかできずにいて、




そのためばかりとはいいきれないでしょうけれど

よいアウトプットができていないようです。




ちょっと想像力を働かせてみれば、

同じ場所にいながらも

そうしようと思いさえすれば、

いろんなところへ擬似的にいけるものだし





それに、気持ちのままの漂流も

そうしようと思いさえすれば、

陸を目指そうとはできるのだから、





そういった意味で言えば、「思考」も「感情」も

「意志」次第といえるかもしれませんね。





よく昔から「知」「情」「意」といって

「肉体」に対して「精神」を

こうした「思考」と「感情」と「意志」に分けて

それぞれのコントロールを

人間的な成長と関連付けてきたわけですが、





この中でも、特に「意志」が

「思考」や「感情」を駆動するという意味で、

重要なのじゃないかなぁと思ったりするんですね。





結局、その気にならなきゃ、何もはじまらないですもの。





何でも「やろう」と決意をして

そっから考え出すし、感情を制御できる。





といいながら、

これは、結構強引な考え方で、

「思考」と「感情」と「意志」は

はっきりとした境界があるわけじゃなく

相互作用しあいながら活動してるわけで




ポジティブな感情が意志を高めたり

思考を活性化させたり、

そのフローに乗った思考が

感情も意志も強固にしたりと・・・





上位も下位もなく三位一体。





だけど、人それぞれ、

駆動させるところが違うようで、





例えば、「行動」をアウトプットとすると、





僕の場合、「意志」があって、

「思考」・・

つまり、考えてからじゃないと動けない・・




ところが、人によっては、

「意志」からすぐ「行動」

「感情」からすぐ「行動」ということができてしまう・・




人の行動パターンって、実に様々・・。





そうはいっても、知情意は、バランスが取れていなければ、

「行動」の結果もアンバランスになってしまう・・・





「知」「情」「意」。





原動力となるものに傾向があるとしても、

アウトプットの成否・精度はそのバランスにかかっています。




そう、バランスにかかってるんだよなぁ・・なんて





そんなことをつれづれと・・・・・・

考えてました。


(アウトプットが、なんとなくしっくりこないもので・・汗)