主題:事実としてお金で物が買えるが、厚い信仰心を持っていたにも拘わらず悲惨な目に遭ったり苦しんだりした人が居るのもまた事実
※信仰に見返りを求めることや、苦しみを苦しみと捉える姿勢がそもそも誤りなのかもしれない
●物の価値の変動
・富士山の上や僻地(輸送コストを含めても)
・金の延べ棒で買い物はできない
・記念硬貨の10万円金貨は買い物はできるが額面通りの価値しかない。換金(代わりに受取るのは只の紙切れの束だが)すればそれ以上の価値が。
●過多と欠乏
・アリストテレスの『ニコマコス倫理学』に於ける「富」と「勇気」の例
「絵踏」⇒たかが金属のパネルと思って踏み一命を取り留めた人と、信仰心の厚過ぎたが故に残虐な刑に処された者
→マリアとイエスなら何と言うか。(殉教 or 命を大切に)
・実在したと思われる人物と、多く観念によって生み出されたと推測される事物
「三位一体」:父なる神・聖霊・御子であるイエス
(cf. アッラーとムハンマド)
他.
・信仰心の厚い人が戦火で逃げまどう姿から
→死んだ後はどうなるのか?畢竟、人の命を奪いさえしなければ何をやっても良い?(どんな形であれ生きているという事が重要だとするならば)
●直接的殺人と間接的殺人
迷惑行為を受けた事で精神に異常をきたし、その人が自ら命を絶った場合。
死へと追いやったその迷惑行為の当事者に、殺人と同じだけの刑罰を課せられる?因果関係の立証ができたとしても…
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