9/8 21:02
今日病院へ行って思った。
今の自分の症状ー様々な病名を調べだすと切りがないし、ただ徒に不安が募るだけ。
それにどんな名医だって、様々な選択肢を排しいきなり的確に病名を診断できるとは限らない。
何が「正しい」のか。それも考え出したらやはり切りがない。
だから目の前の、有りの儘の姿だけを見つめる事にした(「この人は髪がピンクだ」など)。
思えば人間は常に様々な選択肢の下に晒されている。そして経験によって周りが見える/物事を知るようになればなるほどその意識は強くなっていく。
ある一つの選択が発端となり連鎖的に、或いはたった一つの決断の過ちが生死を分ける事だってある。
かのマルクス・アウレリウスが『自省録』で述べているように、「目の前で起こってもいない事を嘆くな(※要検証)」
万が一僕の身に何かあったとしても、この記事が何かしらのキーワード検索からヒットして人の目に触れる所となれば、その時には僕の存在した「証」が人々の間に浸透するだろう。それを願って結びの言葉とする。
Σigma
追記.
兵器としての「核」は(絶対に)あってはならない。
核爆弾に関しては何やら地球に衝突しそうな小惑星を変えるための実験が行われているそうだけど。
、人に対して使うものでは絶対にない(cf.「人影の石」)し、それを抑止力として〇〇(誇示/誇持?>保持•堅持…)するのは完全にお門違い(?)⇒筋違いだ。
日本は🔄被爆国として 核兵器禁止条約に参加及び批准するべきだと僕は思うし、