見た目の美しさ、心の美しさ…どちらも魅力的なのは言うまでもない。とりわけ視覚的な『美』は一層人を惹きつける。
だけど誰かを「愛する」のに果たしてこうした理由は必要なのだろうか?
実際美しく「見えて」いるだけの場合もあろうが、それでも彼女の姿は僕の青春の貴重な1ページを刻み、それは生涯消え去る事はないだろう。
女性の「見た目」について、彼女ほど魅力的な人を僕は知らない。そして彼女の内面について、ここで語るのは適切ではない様に思われる。(余談だが谷崎潤一郎の “Naomi” 同様、彼女もまた外国に多い女性の名を冠していた)
人間なんて一皮剥けば牡と牝だ。だけど(英語で肉欲主義のことを「アニマリズム」という様に)本能の赴くままに生きていては思考を持つ「人間」ではなくなってしまう。
マゾヒズム的な見方をすれば僕は彼女に「生かされていた」のだと思う。
彼女の存在は僕の創作欲を大いに刺戟したし、それが僕の存在意義、生きる意味である様に思われた。だけど単に若かっただけとも言える。社会の道徳に染まる内、僕には彼女が以前ほど魅力的に感じられなくなった。少なくとも今は、結婚して共同生活を送るなんてこれっぽっちも考えられない。身勝手な話だが。
でも人間社会で生きていくには何かしらの職に就いていなければならないし、それが「詩人」という天職ならこの上ない歓びだったろうに…
ここだけの話、色白で黒髪で、しおらしさの中に芯があるのを感じさせるその見た目は、嘗て大勢の男心を鷲掴みにした『めぞん一刻』の音無響子さんにそっくりだったのになぁ…
人生で掛替えのない時代にそうした人と出逢えたこと…幸運だった✨
Σigma