10月後半からずーっと仕事をお休みしていましたが、そのお休みも今日で最後…

入院~今日まで、社会にあまり適応できていなくて、正直、明日という日が怖くてたまりません…大丈夫かしら…


まあ、なんとかなるっしょ。…てか、インフルエンザさえ治ってくれれば、死んでも入社式いってやるぜっ☆てなかんじです。。新生活スタートですっ♪






話まったく変わりますが、双極性障害にはI型とII型がありますよね~?!

私は、外来主治医にはっきりと『あなたみたいに躁鬱はっきりしてるのはI型です』といわれました。




まあ、診断書にはI型・II型を記載する欄はありませんので、『双極性感情障害』(←ICD10にもとづき)とかかれたものを職場に出しに行ってました。(始めのうちは、職場の上のほうへの考慮で『不眠症』と書いてもらって一週間だけの休みをいただいておりましたが…)休みが1ヶ月単位になったとき、『えぃ!もういいやっ』て思って、本当の病名書いてもらいました。入院するときには、入院費用を軽減するために会社を通した手続きをしなければならないので、診断名は絶対に知られますのでね~~。。

記載はされてなくとも、双極性障害I型、隠し通すのも時間の問題ってな感じでしたー♪





双極性障害I型なのは、ここ三年間の自分を振り返れば何となくわかってたので、診断されても別に動揺しませんでした。。

『あーやっぱりねー』

『むしろ、診断してくれてありがとうございます。先生ドキドキ


ってかんじでした。(笑)






因みに、私が爆発する場は、はじめのうちは家がメインでした(十代後半~)。家の人はよく通報しなかったな…と思います。

ドア・壁破壊したし、椅子に箸を投げつけて突き刺したし、携帯電話を投げつけて破壊したし、布団ビリビリに破ったし、親にぶっ殺してやる!と言ったし、元旦那の車の中で暴れてドリンクホルダー破壊したし、母親のお尻回し蹴りしたし、父親と取っ組み合いしたし…(さすがに、今はやりませんよ。。)

親曰わく
『そんなん、誰もがやることだから、気にしない』


と言われましたガーン
キャパがひろいんだか、その他かガーン





ここ3~4年は、毎日あっちこっちいって半年たって死亡…を繰り返してました。別に迷惑をかけているつもりはありませんのでしたが、家にはかなり迷惑をかけていたと思います(子供の面倒ほぼ押し付け)。

金髪、キラキラメイクで、六本木や新宿をうろついたり、居酒屋でせっせと働いたり、臨床実習したり、もう『アホ』の代名詞でした。



助産師学校の時は、クラスメイトに怒鳴り散らしたので、みんなはかなり引いたと思います…。教員4人中3人に怒鳴り散らしました。


もう、このへんからは迷惑行為ですね(笑)。でも、教員も教員で、ちょっと思考がずれていたと思います。4人中2人が、学生運動で退職されました。







まあそんな話はさておき、本題へ戻ります。




ってことで、1人の医師に双極性障害I型と診断され、もう一人の主治医がつけたあたしの診断名と状態!(入院主治医)

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躁状態とかいてあるから、I型確定ですね…


入院中に仲良くさせていただいていた方は、軽躁状態とかかれてありました…(おそらくII型)










入院に関してですが、私は任意入院のつもりでいったのに、医師に

『徘徊するってことで、開放病棟は無理です。任意にすると、自由な範囲が広がりますので、医療保護入院にしましょうドキドキ

とかいわれて、スーパー救急にぶち込まれた。


『あぁ~れ~ま~』


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あたしが入院した病院はおそらく、かなり行動制限最小化委員会がうごいてたかと思います。


同じ病棟には、ブツブツ独り言を言いながら徘徊してるオジサンが私の後ろをついて来たり、一瞬も途切れることなく喋り続けているおねーちゃんがホールにいる人全員に次から次へと話しかけていました。


上記2名はしばらく後、保護室行きになりました…


あたしは、ある出来事で抑制されそうになったけど、セーフ!

隔離もありませんでした…(^^;)








入院中に処方された、薬さんたち

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※ロラメットだけ、薬情もらうの忘れてた(=_=;)


あたしの躁は、こんなに沢山飲まなくては抑えられんかったのです。






I型、迷惑(笑)