昨日、友人から喪中はがきが届いた。
義母さまが5月に、ご主人が9月に亡くなったそうだ。
ご主人は、まだ60代だ。

この友人とは、幼稚園が同じ。
それどころか、生まれた病院が同じ。
しかも、誕生日がたったの3日違いだから、同じときに入院してたはず。
中学からはクラブも一緒。高校も一緒、そして、やはり同じクラブに。

高校は公立だが、超進学校だった。
私たちの頃(何せ50年前だ)は、偏差値って言葉もあまり聞かなかったけど、現在の偏差値は75なんだとか。
入学して、最初の1ケ月くらいは、あまりのレベルの違いにカルチャーショックを受けた。
英語の授業で、いきなり、「はい、このページ訳して」と言われる。
知らない単語だらけ。
中学だったら、「まだ習ってません」と言えるけど、予習してくるのが当たり前らしい。

変な先生ばっかりで、いわゆる名物先生?
私は、いきなりのテストで60点とって青ざめてたら、それでも平均点以上だった。
この友人は0点の答案用紙を、教師に「0点!」と言われて、窓から捨てられ、校庭まで拾いに行かされた。

私達は、家が同じ方向だから、クラブの練習を終えたら、一緒に帰る。
帰りの電車の中、二人で顔を見合わせては、ため息ばかりついていた。
こんな学校で、これからやっていけるのかなと。

でも、クラブに入っていて助かった。
クラブのOBが勉強を教えてくれたりした。
そのOBの1人が、今の私の夫だ。

そのうち、勉強の要領も良くなった。
英語の予習なんてしなくても大丈夫。
教科書ガイド買って、机の下に忍ばせることを覚えた。

クラブの練習は毎日あった。
試験の1週間前からクラブ活動禁止になるのに、他校にコッソリ練習に行ったりもした。

今、思えば、あれは私の青春。
私は家庭の問題を抱えていたけれど、クラブの仲間たちが支えてくれた。
部室でずっと泣いてる私を、何も聞かずに、ただ見守ってくれた。
思い出すと、今でも泣けてくる。

彼女のご主人は、もう20年以上前に胃癌で手術、抗がん剤治療を受けた。
昨年、もう忘れた頃に再発したのだ。
今度は全摘したけど、結局、リンパ節に転移してた、とまでは聞いていた。
いきなりの喪中はがきで、やっぱりダメだったのか、と、改めて思い知らされた。

ラインで連絡をとったら、骨転移し、緩和ケア病棟に入院したけど、最後はお家で看取りされたそうな。
今は緩和ケア病院でも、長く入院させてもらえない。
30日未満で退院させられ、後は在宅看取りになることが多い。
それ以上、詳しいことは聞かなかったけど、きっと、いっぱい辛いことあったんだろうな。
でも、義母さまが先に逝かれたのは、良かったかなと思う。
どんなに年とっても、息子に先立たれるのは辛いよね。

そのうち、また会おうね、と約束した。
早く実現しないと、私達自身も、いつ何があるかはわからない。

案外、夫の方が長生きしたりしてね。

 

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