しかしその隣国の工業の衰微その他の原因によって、工業品の輸入が著しく阻害されるかまたは全然杜絶するかしても、食物と粗生原料とを自給する国は長い間当惑することはあり得ない。しばらくの間はなるほどそれは供給は十分とは云えなくなるであろうが、しかし工業者や職工はまもなく現われ、そしてまもなく相当の技術を獲得するであろう1)[#「1)」は縦中横][#「1)」は行右小書き]。そして国の資本と人口とは、この新たなる事情の下において、従前のように急速には増加しないかもしれないが、しかし両者の増加力は依然極めて大であろう。
これはアメリカにおいて十分に例証されている(一八一六年)。
他方において、単に工業のみを営む国民が食物と粗生原料とを供給されなくなるならば、それが久しく存続し得ないことは明かである。しかし極端な場合を仮定すれば、かかる国民の絶対的生存が外国貿易に依存するばかりでなく、またその富の増進はほとんど全く貿易相手国の進歩と需要とに依存しなければならぬ。かかる国民がいかに器用で勤勉で節約的であっても、もしその顧客が、怠惰と蓄積不足のために、その貨物の年々増加する価値を消化する意思も能力も有たないならば、その国民の熟練と機械との効果は極めて短期間にして消滅するであろう。
熟練と機械とにより ある一国の工業貨物が低廉になれば、他の国における粗生生産物の増加が奨励されるに至ることは、何人も疑い得ない。しかし同時に、国民が怠惰で統治の悪い国家においては、高利潤が長い間続いても富の増加を来さない場合があることは、吾々の知るところである。