マイケル・ジャクソンの少年に対する性的虐待疑惑を告発した映画

『リービング・ネバーランド』が公開され、

 

メディアが問題を大きくするために躍起になっています。

 

告発者は、かつて「キング・オブ・ポップ」と共演してきた当時少年だった二人、

ジェームズ・セイフチャック(37)とウェイド・ロブソン(41)です。

 

このドキュメンタリーで、2人は少年時代、長年にわたってマイケルから

グルーミング(性的虐待者が被害者を説得し洗脳し手なずけること)を

受けてきたと主張しているといいます。

 

それゆえに、自分が虐待の被害者であると正しく認識することが

困難だったというのです。

 

しかし、彼等の説明には明確な矛盾があったことが判明しています。

 

とはいえ、矛盾を暴いたライターが認めているように、この矛盾は

必ずしもマイケルによる性的虐待の可能性を完全に排除することにはなりません。

 

このような告発を可能にする原因は別のところにあるからです。

 

マイケルへの疑惑が払拭されないその最大の要因は、

 

大衆が、93年と2003年の性的虐待容疑事件と裁判にまつわる

無数の報道を見聞きしてきたことにあります。

 

それにより、多くの人々が持つようになった「マイケルの人間性」

に関する共通の認識(疑惑)が、

 

今回の告発者たちの話に説得力を持たせる要因(前提)になっているのです。

 

言い換えれば、もし、過去の二つの容疑事件が起きておらず、

それにまつわる報道もなかったとしたら、

 

今回の告発者たちの話、ネバランのあの鉄道の駅で性行為に及んでいたとか、

グルーミングがあったなどのこれまで以上の衝撃的なストーリーは、

 

余りにも突飛な話ということになり、まして、そんな突飛な話を

ドキュメンタリー映画」と称して公開することは出来なかったでしょう。

 

今回の告発は、あくまでも過去の事件と報道が前提になっているのです。

 

ですから、真実を突き止めるためには、

 

「人々が持つようになった共通の認識」の土台になった過去の事件報道

それ自体が真実だったのか?それとも、全部が虚偽だったのか?

という点を見直してみるべきなのです。

 

この問題に関係する過去の事件と報道の全部が虚偽だとすれば、

今回の告発者たちによる告発が意味をなさないものになるだけでなく、

 

過去のマイケルへの容疑や捜査、裁判や報道の全てが完全なるねつ造であり、

重大な組織的犯罪だった可能性があるということになります。

 

問題の本質に迫るための検証に挑戦してみることにしましょう。

 

 

では、まずはじめに、これまでの事件報道により

大衆が持つようになった「共通の認識」とは何か、

 

裁判ではマイケルが無罪になったとはいえ、今回の二人の告発者と同じく

マイケルとの親密な交友があったとされた少年、

 

2005年裁判の原告ギャビン・アルビーゾ事件のケースを例として

検証しなおしてみることにします。

 

 

 

 

 

一連の報道から大衆が持つようになった

 「マイケルの人間性やライフスタイルに関する共通の認識」とは何か?

 

 

当時の報道ではこうなっていました。

 

   MICHAREL JACKSON'S MOONWALKER 2003年下半期より

 

この報道は、ネバーランド家宅捜索につづき、

マイケルが逮捕(11/20)された後の報道です。

 

※赤色で示した部分に注目

 

(2003/12/9)

2月に放送された「Living with Michael Jackson」(以下「LwMJ」)を見た

学校関係者を名乗る人物から同14日に児童虐待ホットラインへ通報があり、

当時14歳の少年と12歳の弟が調査対象となった。

 

このケースは警察と児童福祉団体「ロサンゼルス児童家族サービス」が

行った調査により、児童虐待の形跡はなかったと結論づけられていた。

 

調査報告書の記録によると、兄弟はマイケルからの性的虐待行為は

一切なかったと答え、ネバーランド訪問時の楽しさを語り、

マイケルに対する好意も示している

 

17歳になる長女は弟たちをマイケル宅でのパジャマパーティーへ連れて

いった時の事を語り、「マイケルと彼らの間の不適切な行為は見た事がない

と証言している。

 

また、母親はマイケルを評して「子供たちにとって父親代わりで、

今や家族の一員」と語り、「息子はマイケルと同じ部屋で寝たがベッドを

共にはせず、マイケルは床で寝ていた」と認めている

 

2月14日から27日の間に行われたこの調査の報告書は

「性的虐待の根拠は認められない」と結論づけている。 

 

※しかしその後、LAPDが捜査に動き出したとされている。

(抜粋 終わり)

 

       ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨

 

このように、当時の報道によると、

ドキュメンタリー「LwMJ」が放送されたのをきっかけにして

マイケルに対する二度目の性的虐待容疑で警察が動き出した

という流れになっていました。

 

赤色で示した部分のアルビーゾ家による説明は、

 

その頃までにすでに多くの人に知られるようになっていた

マイケルと子ども達との交友の仕方」の典型的パターンと言えます。

 

 

大衆が初めてその種の説明を耳にしたのは、

これより10年前の93年児童性的虐待容疑事件の報道からでした。

 

当時のマイケルの”友人”であったウェイド・ロブソンやブレット・バーンズらが、

テレビのインタビューで以下のような説明をし、物議を醸しました。

 

 

「パジャマパーティのノリで、マイケルと同じベッドをシェアーしたが、
マイケルはベッドの向こう側に居て、自分はこっち側に居た。

彼は一度も変なことはしていない。」

 

 

当時のテレビ局のインタビューに答えるウェイド・ロブソン

 

   

 

 同じくインタビューに答える母親のジョイ・ロブソン

 

   

彼女は今回の告発映画で、以前に公に語った話に

変更を加えているという。

 

 

93年にジョイ・ロブソンは、「息子がマイケルの寝室で一緒に過ごすのは

問題ない」と発言し、「ジャンクフードを食べたりビデオゲームを楽しむ

などして無邪気に遊んでいただけ」などと説明しました。

 

 

10年後の2003年に放送されたドキュメンタリー「LwMJ」

の中では、マイケル自身が以下のような説明をしました。

 

子どもたちが僕の寝室で寝たがったんだ。

多くの子ども達と寝室で一緒に寝た。僕は床に寝たんだよ。

どうしてベッドを共有してはいけないの?
もっとも愛すべき行動は自分のベッドを誰かと共有する事だよ
。」

 

マイケルは、「性的なことは関係ないんだ」と主張。

 

 

こうして数々のインタビュー映像から、その種の「説明」を繰り返し見聞きした

ことにより、多くの人々が、「マイケルの人間性やライフスタイルに関する

共通の認識(疑惑)を持つようになったのです。

 

 

この問題に関する人々の「共通の認識」をまとめると、こうなります。

 

『マイケルは子ども達との交友を強く必要とし、ツアーや外出に同行

させ、ネバーランドに子ども達を招待し続け、高価な贈り物をし、

子ども達の父親代わりで互いに家族の一員だと主張してきた。

 

ネバランでのパジャマパーティは恒例で、マイケルは自分の寝室で

頻繁に子ども達とゲームや枕投げをして遊び、一緒に寝ていた。

 

マイケルは子ども達と一緒に寝ることは問題ない、

性的なことは関係ないと強く主張し続けた。

彼は、自分はピーターパンで、大人になりたくないと語った。』

 

 

このような普通の大人の男性の感覚とはかけ離れたマイケルの人間性、

思考、ライフスタイルが、人々の「共通の認識」になりました。

 

結果として、人々は、彼の性的感覚に疑念を持つようになったのです。

 

世界中の多くの人々が報道によって抱くようになったこのような「認識」は、

事実だったのでしょうか。

 

それとも全部が作り話だったのでしょうか。

 

検証を進めます。

 

 

  ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨

 

 

マイケルへのインタビューは、本当にインタビューなのか?

 マイケルに関するドキュメンタリーは、本当にドキュメンタリーなのか?

 

 

ここで、問題の本質を見極めるために視点を変えてみて頂きたい点は、

 

マイケルへの二度目の児童性的虐待容疑に結び付くきっかけとなった

長編インタビュー「LwMJ」は、

 

本当にインタビュー(または、ドキュメンタリー)だったのか?という点です。

 

 

英国のジャーナリスト、マーチン・バシールが、マイケルの自宅ネバーランド

やベルリンのホテルなどで8か月に及ぶ密着インタビューを敢行し、

「ドキュメンタリー」を制作したと言われていました。

 

マイケルは出演料なしで、質問に対する制限事項も

設けなかったと言われています。それゆえに、

 

「誰も見たことがない真実のマイケルが見れる」という触れ込みが

大衆の興味を搔き立て、英米で高視聴率をマークしたと言われています。

 

しかし番組放送後、バシールのナレーションや質問事項、BGMなどに、

マイケルに対する疑いを抱かせる悪質な意図があったとされ、

 

バシールの悪意を証明するに足りるマイケル側のビデオクルーが

撮影した映像をもとに、

 

マイケルの両親と兄のジャーメイン、マイケルの元妻デビー・ロウ、

長年のヘアメイクであるカレン・フェイらが出演する反論番組が制作され、

 

このインタビュー番組もまた、『ドキュメンタリーのtake two』として

放送されました。

 

 

しかし、このインタビューには、ナレーション以上に

注目すべき大きな問題点、

 

人々が見落としている重大な問題点があったのです。

 

非常に有名になった以下のシーンから検証してみます。

 

 

 

 

◇インタビューではない「恵みの木のシーン」

 

バシールとの会話の中で、マイケルが、彼が「恵みの木」と呼ぶこの木の上の

ベッドのような場所に座ってよく作曲したと話し出し、

 

バシールの勧めに応じて、マイケルが木に登り始めるシーンがあります。

 

  

 

 

 

 

あの木のどこにベッドのような場所があるのかを聞かれ、

マイケルは指を差して「あそこだよ」と答えます。

  

 

 

  

 

 

「登って見せて」と促され、マイケルは木に登り始めます。

 

マイケルに促され、バシールも登り始めます。

 

 

 

    次の場面です!

 

 

 

 

カメラが、上からバシールを撮影しています。

 

木に登ろうとするバシールを撮影するために、ビデオクルーが

木の上で待機していたことを示しています。

 

この「恵みの木のシーン」を撮影するために、

「打ち合わせがあった」ことを示しているのです。

 

 

  コチラは、下から撮影したカット。  

   

 

その次のカットでは、カメラが左から

マイケルの横顔を至近距離で捉えています。

 

  

 

次のカットでは、木登りをするバシールを捕らえたのとは別の角度の

上方から撮影している映像になっています。

 

  

 

これらのカットから、

 

この位置に座ることになっているマイケルを撮影するために、

前もって上方で、最も適した位置を見定めた上で

ビデオクルーが待機していたことが分かるのです。

 

 

次のカットでは、ビデオクルーがカメラを左にスクロールさせますが、

 

マイケルが、顔の向きを右から左に変えるタイミングに合わせて

カメラをスクロールさせています。

 

   

 

   


   

 

   

 

 

マイケルに、「顔の向きを変えるように」と

指示を出したと思われます。

 

マイケルも指示に従って、

この場面の撮影が終わるまで「じっとして」いるのです。


   

 

  

 

  

 

最後に、至近距離で撮影した先ほどとは反対側のアップの横顔を映し出し、

   
”大人になれない孤独なスーパースターを演出”したところで、

「木登りのシーンの撮影」は終ったようです。

 

 

この場面から、バシールがインタビューしていたその流れで、

マイケルが木に登り出したのではなかったということが、はっきりと分かります。

 

完全に「打ち合わせがあった」ことを示しています。

しかも、幾つかのカット割りを、一度ではなく、

何度かに渡って撮影していたことになります。

 

 

   

 

 

何度かこの木に登ったり降りたりを繰り返し、

ベストポジションを選び撮影したに違いありません。

 

「台本があった」ことは間違いない。

 

これはインタビューでも、ドキュメンタリーでもありません。

「台本がある撮影だった」のです。

 

そうしますと、この台本は、マイケル当人の意志を反映したものだったのか、

という疑問が生じます。

 

”大人になれない孤独なスーパースターを演出する意図があった”

ということは明白ですが、

 

マイケルが「こういう演出にしてくれ」と指示したのでしょうか?

 

それとも、別の人物が指示を出していたのでしょうか?

 

これは、誰の意向だったのか?という、

追求するべき新たな重大な疑問が生じるのです。

 

この「台本があるドキュメンタリー」が、

「二度目の容疑」に結び付いていたからです。

 

 

 

この”ドキュメンタリー番組”には、さらに、

 

マイケルには少年(ギャビン)との不適切な関係があったのではないか、

と疑念を起こさせる十分な効果がありました。

   

 

  

 

 

 

 

 

 

上の場面の後のシーンで、

カメラは「二人が堅く手を握り合う」カットを映し出します。

 

  

 

 

 

「堅く握り合う手」のカットの次の場面がこれです。

 

 

 

 

確かに、「このポーズや目つき」が自然に出たものだとすれば、

二人の関係に疑いが生じます。  

 

  ギャビン5  

 

しかし、これが、指示されたものだったとしたら....?

 

 

しかも、マイケルは、台本があるこのドキュメンタリー

他のインタビューに答えて、このようなセリフを繰り返し語っていたのです。

 

「子どもたちが僕の寝室で寝たがったんだ。

僕は床に寝たんだよ。何がおかしいの。

もっとも愛すべき行動は自分のベッドを誰かと共有する事だよ。」

 

 

そうしますと、

 

実際にはシナリオがある”偽ドキュメンタリー”と、

 

それに続く”性的虐待容疑→家宅捜索→逮捕→裁判”というシナリオは、

 

初めからドッキングする段取りになっていたのではないだろうか?

という疑念が湧いてくるのです。

 

 

    MJテープ13

 

 

すると、ある人は、

 

「仮に幾らか台本があるとしても、マイケル当人がやっている。

当人が虐待の容疑者を演じるはずがないじゃないか。

 

だから、大方はマイケル本来の姿だろう。」

 

と反論することでしょう。

 

「”マイケル当人が自分で虐待の容疑者を演じるわけがない”

という”思い込み”が、一般人にはある」

 

ということを知っているからなのです。

 

 

組織的犯罪かもしれない事例の真実を突き止めるためには、

そのような「思い込み」は、脇に置く必要があります。

 

大衆には全く見えないところで、93年から2009年の麻酔薬死亡事件を含む

一連の組織的犯行の首謀者による

 

恐るべき脅迫行為が繰り返されてきたのです。

 

  MJ死亡事件検証と背後の重要な意味

  犯行の首謀者はジャクソンファミリー

 

 

この記事では、2003年事件報道と裁判を

視点を変えて検証し直しているところです。

 

 

    ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨

 

 

マイケルとギャビンとの関係についての以下の要約は、

当時マイケルのアドヴァイザーということになっていたユダヤ教のラビ、

シュムリ・ボアテックスにより、

 

2001年までに録音された「MJテープ」からのものです。

 

         http://honor.exblog.jp/22374746/

          (現在は削除されている)


(記事より)
ギャビンがガンと診断されたのは2000年のはじめ。
彼が化学療法のため入院していた時、はじめてマイケルからの電話を受け

マイケルは病院を訪れることができない代わりに、入院中20数回にわたり

電話をかけ「健康な細胞がガン細胞を食べるイメージ」を話して励まし、

退院できたらネバーランドに招待すると約束した

すでにギャビンは、このとき、クリス・タッカーを含む多くのセレブリティから

援助を受けていた。

ギャビンはガンの闘病をしており、当時の病状が深刻だったことは、

クリスも証言している。

その後、奇跡的に快方に向かい退院したギャビンは、

2000年8月、初めてネバーランドを訪問した。

シュムリーが、初めてネバーランドを訪問したのも2000年8月で、

彼は次のように語っている。

「ギャビンは、化学療法で髪の毛が抜けたために、帽子をかぶっていた。
私は、マイケルがギャビンに話しかけ、髪の毛がないのを恥ずかしがる

ことなんかない、と励ましているのを目にした。

マイケルが、それは治療による素敵な効果なのだからと、
少年に自分なりの美的感覚を持ってもらおうと一生懸命になっている姿は、

賞賛に値するものだった。」
(記事より抜粋 終わり)

 

 

このように、シュムリは、ギャビンがネバーランドに招待された

初めの頃からの二人の関係の目撃証人だと語り、

 

ギャビンがネバーランドを訪問した時、マイケルが一生懸命に

ギャビンを励ましていたのを見たと説明していました。

 

 

 

ギャビンとマイケルの関係を裏付ける証拠映像は本物か?


「恵みの木のシーン」には、事前の打ち合わせや

意図的な演出がありました。

 

では、ギャビンが初めてマイケルに会った時のものだという

プライベート映像には台本はなかったのでしょうか。

 

以下は、マイケル自身によるプライベートフィルムということになっている

ギャビンが初めてネバーランドに招待された時と言われる映像です。

 

それまで、マイケルは、入院中のギャビンと20数回にわたり

電話で親交を深めてきたとシュムリが説明しています。

(著書「MJ裁判」178p ギャビンによる証言も同じ説明。)

 

 

 

 

 

   

 

二人の歩き方やボディランゲージがぎこちなく不自然に見える。

 

鉄道の駅のシーン(2:16)で、二人はかなりよそよそしい。

 

ギャビンの歩き方、彼の足取りはしっかりしている。(3:30 4:43)

 

音楽を流していたのは、

不自然な沈黙を目立たせないようにするためではないか。

 

 

        よそよそしい二人

     ギャビン6

 

 

 

「ライアン・ホワイト君との会話」と比較してみてください。

 

撮影のためのある程度の打ち合わせはあったかもしれませんが、

ライアン・ホワイト君との会話は自然体で、

二人の間に「友情がある」ことが見て取れます。

 

  

 

 

 


ライアン君は、息遣いや声からしてやや辛そうですが、
マイケルは「今日は調子が良さそうだね」と前向きに話しかけています。


終わりの方で「散歩でもする?」と促して、二人は散歩し始めます。(9:50)


マイケルは、ひっきりなしにライアン君に何か話しています。
二人の様子は自然体で健全です。



ライアン君との映像と比較してみると明らかなように、
ギャビンとの映像は、二人の間に「友情」などの親しみある感情が

欠落していることが見て取れます。

 

 

マイケルは、裁判前のエド・ブラッドリーのインタビューで、

ネバランで初めて会った時のギャビンについて、このように描写していました。

 

   

 

(マイケル)

正確に答えよう。初めて会った頃、彼は髪の毛がまったくなかった。
化学療法で皮膚は雪のように真っ白で、拒食症患者のようにやせ細り、
まゆ毛もまつ毛も抜け落ちていた。

とても弱っていて、家からゲーム室まで行くのに彼を抱えるか、

車イスに乗せるしかなかったんだ。」

 

http://moonwalker.jp/interview/03_60minutes.html

 

 

このインタビューに答えるマイケル当人による説明は、

当人によるとされるプライベートムービーの映像

 

合致していると思われますか?

 

 

しかも、マイケル側が撮影した不自然なプライベートムービー以外に、
マイケルとギャビンが同時に映っている映像は、

 

バシールのインタビュー映像だけだったようです。

 

ですから、この二人が直に会っていたことを示す証拠映像は、

 

  この日の映像と、

ギャビン6  

 

  この日の映像のたったの2種だけしか存在しないのです。

 

ギャビン5  

 

 

 

  
以下は、ライアン君との「電話の音声」です。
   

 

 



こうして、「マイケル・ジャクソンとライアン君の通話記録」は存在しています。

 

快活に、自然体で語り合う2人の様子が伺えます。


一方、ギャビンの場合においては、


マイケル・ジャクソンが、入院中に20数回も電話して、

闘病中のギャビン君を励ましてきた」ということになっているのに、


1回分の通話記録も存在しないのです。



仮に、ギャビンやシュムリやクリス・タッカーが、そしてマイケル当人が、

台本通りの説明をしていただけで、実際にはギャビンは入院しておらず、

 

癌を患ってもおらず、マイケルとは撮影のために二度会っただけの関係

だったとしたら、

 

この二人が会っていた証拠映像がたったの二日分しかないことや、

通話記録が一つもないのは納得できることなのです。

 

それ以外に、この二人の通話記録が存在しない理由が考えられるでしょうか。

 

 

 

エド・ブラッドリーのインタビューでマイケルはこう言いました。

 

彼(ギャビン)は余命いくばくもないと告げられていた。

彼は医者に宣告されたんだ。
両親は葬儀の準備をするように告げられた。

そこで僕は、彼に、とあるプログラムを組んだ。

これは多くの子どもたちにやってきた事なんだ。心のプログラムだよ。」

http://moonwalker.jp/interview/03_60minutes.html

 

 

癌患者の子どもの親に「葬儀の準備をするように」と告げる医師はいません。

 

そして、これほど重大な事件なのに、

ギャビンの主治医や看護婦を取材した記者は、ただの一人も居ないのです。

 

マイケル当人が、ギャビンの回復のためにプログラムを組むまでして

懸命に取り組んだと語りました。

 

ファンはよく知っています。

「マイケルは記録魔だ」と言われてきました。

 

そうであれば、当然あるはずの記録、

 

ギャビンの深刻な病状が刻々と回復に向かったことを示す喜ばしい記録、

 

見せることが出来るはずの数々の貴重な記録映像や記念写真が、

 

一つも存在しないのです。

 

 

仮に、ギャビンが癌患者だったという話が嘘で、

マイケルとは撮影のために二度会っただけの関係で、

 

それまで報道された話の全部が嘘で、何者かによる台本だったとすれば、

 

あるべき記録映像がないのは納得できることなのです。

 

 

ギャビン事件のケースに見られる「パジャマパーティ」他の定番の説明が、

93年事件の頃の説明と全く同じだということを考えてみてください。

 

ですから、これまでの「マイケルと子ども達との関係」を示す写真や映像や

インタビューによる説明は、

 

そのほぼ全部が、ごく初めから、

 

マイケルと子ども達との親密な関係があったように見せかけるために、

誰かが創作した台本を演じるための「撮影」だったという可能性が

極めて高いのです。

 

 

つづく