2009年6月25日、マイケル・ジャクソンは衝撃的な死を遂げました。


米国の元検視局長で法医学・病理学ジャーナル編集長のビンセント・ディマイオ氏
は、この事件は、法医学の歴史上きわめて異常なケースであるとし、

驚きを隠さずに、

「こんなことが起こるとは、私も含めて誰も予想していなかった。
私が知る唯一の医療殺人は殺意をもって殺した事件であって、
今回のようなケースは初めてだ。」と語りました。

NewsWeek

https://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2009/08/post-454.php

 


では、「THS IS IT」であれほどの雄姿を見せていたマイケルに、

いったいどうして、法医学の専門家たちにとって想定外の史上稀に見る
極めて異常な医療殺人事件が起きてしまったのでしょうか。


ネット上では多くの人が、ジョン・レノンと同様に、マイケル・ジャクソンも
イルミナティに反抗したので、イルミナティに殺されたのだとか、

THIS IS ITの公演中に、内密の情報を世界に公表しようとしたので
闇の支配者に殺されたなどと書き立て、様々な陰謀論が今も飛び交っています。

 


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しかし、マイケルの近親であるジャクソン一家による数々の具体的な証言は、
それらの陰謀論とは合致していません。

 

 

むしろ、ジャクソン一家は、事件を捜査した検察側が立てた仮説を

全面的に支持してきました。

 

この事件が、法医学史上極めて異例な医療殺人事件となったのは、

そのためです。

 

つまり、被害者当人が、致死的な麻酔薬を投与してもらうために

専属医を雇っていた、ということになっているからです。

 

この仮説を裏付ける証言を繰り返してきたのは、ジャクソン一家です。



家族は、マイケルが麻酔薬を使用するに至った原因として、睡眠障害や

薬物問題を抱えていたのは事実であると、何度も繰り返し強調してきたのです。


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ジャネット・ジャクソンやリビージャクソンらは、彼(MJ)を薬物問題から
立ち直らせるために何度も介入したと、複数のインタビューで強調してきました。


ジャネット・ジャクソン オプラ・ウィンフリー・インタビュー(1.2.)

http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-617.html

 

「家族は彼に問題があるということを知っていた」と明かした。

「私たちは現実から目を背けていたとみんな思ってるけどそうじゃないの。
私たちは何回か忠告したのよ。彼は認めていなかったけど。
彼は自分に問題があるとは思ってなかったのよ」。

マイケルに最後に会ったのは死のおよそ1ヶ月前、

彼女が両親のために開いたパーティーでのことだったという。

「彼はその時とても痩せていたの。みんな彼には問題があるとわかってたわ。
みんなよ」と彼女は言う。

タイラー・ペリー(ジャネットの共演者)はウィンフリーに、

ジャクソン・ファミリーがどれほど懸命にマイケルを助けようとしていたかを

繰り返し言う必要があると思っていると語った。

「すみません、だけど僕はこのことをみんなに知ってもらいたいんだ。
彼らがどれほど試みたか。本当に救おうとしたんだ、家族全員が。


僕は全世界に、彼らがどれほどマイケルを救おうと努力したかを
知ってもらいたいんだよ。」


リビー・ジャクソン インタビュー
http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-664.html

 


「弟は薬の問題を抱えていました。そしてその問題から目を背けていました。
家族が何度もそれに口出しました。私も何度も加わりました。
それはとても悲しいことでしたし、精神的にも苦しいことでした。」


テイト・ジャクソン デイリーミラー紙インタビュー
http://www.afpbb.com/articles/-/2621436?pid=4361061

 

「ティト・ジャクソンは、マイケルの薬物使用を止めるため
ネバーランドに兄弟で押しかけたことがあったことを明かした。


テイトは、処方薬の使用について、マイケルは、

「われわれに知られないようにあらゆる手段を講じていた」と述べた。

ティト、ジャネット、レビー、ラトーヤ、ジャッキー、ランディで
ネバーランドに押しかけたという。

「私たちは行動しなければならなかった。私たちが突入するとマイケルはとても
驚いていた。それから彼の私室に入って話し合った。泣いている者もいた。」
(抜粋終わり)



また、ジャーメイン・ジャクソンは、自身の著書で、

「1984年に2度の火傷を負ったペプシCM撮影中の痛ましい事故の後、
マイケルは慢性的な痛みとの闘いが始まり、その治療法を探し始めた」
と語っています。

https://ameblo.jp/love-michael/theme5-10016128776.html

 

 

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MJが麻酔薬依存であったことを”裏付ける”ジャクソンファミリーによる

数々のこうした証言は真実だったのでしょうか。


ブログ「マイケル!本当のことが知りたい!」を終了するに当たり、
最後の記事として、

マイケル・ジャクソン麻酔薬死亡事件を検証することに致しました。


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2011年11月8日、6週間に及ぶコンラッド・マーレー裁判において、
マーレーは過失致死で有罪判決となりました。


この裁判を前にしての同年1月の予備審問で、検察により、
MJが死に至るまでの時系列が公表されました。


以下の検察による事件の経過と状況を示す時系列を題材にして、
法医学史上稀に見る異常な事件、

MJ麻酔薬死亡事件の真実を浮き彫りにする目的で
この事件の再分析、再検証に挑んでみたいと思います。


その前に、7年前の情報であるゆえに、読者の皆様方の記憶を呼び覚ますため、
また、皆様各自の”捜査官感覚”を研ぎ澄ませて頂くために、

以下の時系列にざっと目を通し、

”予習”しておいて頂けますことをお願い申し上げます。


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マーレー裁判の予備審問 (MJJFANCLUB JAPANより)
   http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-1449.html

 


【1月4日の法廷メモ】
FOXニュースのレポーター、サリー・アーシーが、コンラッド・マーレー医師に
対する予備審問を傍聴した。

以下は彼女のメモであるが、メモとはいえ審理について非常に詳細に記している。


9:10 判事の開廷宣言

20人から30人の証人
イギリスでのマイケル・ジャクソンの重要なショー。
大きな世界的イベントで、MJのキャリアにとっても重要なもの。
MJのクルーたちは夕方ステープルズセンターでリハーサルをしていた。

被告マーレーは専属医として働いていた。
マーレーはホルムビーヒルズのMJの自宅で医療行為を行っていた。

マーレーは夜遅くから深夜1時ころに訪問し診療していた....。

週に6日、MJの家でプロポフォールを投与していた。

MJの睡眠を補助するため。2か月連続であった。

睡眠補助にプロポフォールが使用可能であるとの表示はない。



時間経過

6月23日、MJはステープルズセンターで通常のルーチン。
      リハーサルは素晴らしかった。

6月24日、同じルーチン。ステープルズセンターで良いリハーサル。MJは楽観的。
6月25日の午前1:00、帰宅。

      セキュリティーによれば、マーレーのBMWがドライヴウェイに

      止まっていた。MJが自宅で車を降りる。

6月25日
1:30am MJが診療を開始したことを証拠により法廷が知る。
2:00am バリアム(精神安定剤)が投与される。
3:00am (ジアゼパム?)の静注。
     (ベンゼドリン?)の点滴。

5:00am 他の処置
7:30am 点滴による他の薬物

10:40-11:00am プロポフォールの投与....ある時点で呼吸停止、その後死亡。
     MJは救急隊到着前に亡くなった。

    当時部屋にいたのは2人、MJとマーレー医師。

11:51am 11分の通話。証人は、他の受話器からノイズを聞く。
            恐らくMJが呼吸していないことを知ったコンラッド・マーレーによるもの。
12:12pm マーレーからマイケル・アミール・ウィリアムスへ電話。セキュリティ。

            マーレーが助けを求めていると証言。メッセージを残す。

12:15pm ウィリアムスが折り返し電話をする。
             マーレーはMJが悪い状態だと言う。ウィリアムスは居合わせなかった
             他のセキュリティーのメンバーに電話。

12:17pm ウィリアムズはアルベルト・アルバレスに電話。
           彼は外のセカンド・トレーラーにいた。
     家に入る許可をチェック、 MJの寝室へと上がる。

         彼はベッドのMJを見る。マーレーはやわらかいベッドの上で片手でCPR。
        マーレーはMJが悪い反応を示していると話し、医学的証拠を集めるよう
        依頼する。
        検察はこの時点でまだ911コールをしていないと言う。

12:21pm アルバレスはかばんを取るよう指示を受ける。

         マーレーは医薬瓶や点滴バッグ等を集める。

           言われているように、その時初めて911コールをするよう言われる。
           おそらく、マーレーは911コールをするまで20分間待っていた。

         ..........MJは正午前には亡くなっていたかもしれない。

12:26pm 救急隊が現場でMJを処置。

           MJの目は動かず、(瞳孔が?)広がっていた。触ると冷たかった。
           心電図は水平。MJは亡くなった.........

    プロポフォールを伴う処置に必要な正規の装置はなかった、救急隊の証言。

     マーレーは基礎疾患について聞かれた。
     マーレーは投与した薬物について聞かれた。
     プロポフォールのことには触れなかった。
     検察は、それが役に立ったかもしれないと言った。

     UCLA医療センターはMJへのこれ以上の治療は無駄だと勧告した、
     UCLAは救急隊と連絡を取っていた。


1:07pm 救急隊はMJとともにUCLAへ
1:13pm 緊急処置室(ER)へ到着
           病院の医師はマーレーに、MJに何をしたのかとだけ訊ねた。

          バリアム、フロマックスについては言った。

         UCLAの医師にはプロポフォールのことは言わなかった。
          医師らはまだ蘇生を試みていた。

2:26pm UCLAのクーパー医師がMJの死亡を宣告。
     マーレーは病院のセキュリティー担当者と会話を交わす。

     翌日刑事がマーレーに事情聴取。プロポフォールのことを知る。
     解剖所見.......急性プロポフォール中毒

法廷は医療の専門家から話を聞く予定.....標準的ケアからの著しい逸脱.....。

検察によるキーポイント
・正規の設備がなかったこと
・プロポフォールは不眠症の治療にはならないこと
・複数の薬物の同時投与
・意味をなさないCPR
・迅速な911コールを怠ったこと
・適切な医療記録を怠ったこと

検察の冒頭陳述終了

弁護側からの冒頭陳述はなし

(転載終わり)

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次回は、捜査官truthmjによる検証作業に移ります。