この世の支配者層(現代の悪魔崇拝者達)が古代カナンやバビロニアの崇拝の方式にのっとって、
一生懸命に悪魔を崇拝し続けてきたことが分かっています。


この記事は、「支配者層が全員揃って悪魔崇拝をしなければならないのは何故か」、

つまり、支配者の「正体」、
また、「彼らの人類に対する真の目的」を突き止めるための参考資料になるはずです。


これまでの分析により、彼らが崇拝しているニムロデの思想の原点が、
天と地と人類の創造者であるエホバ神に対抗することであったことが判明しています。


さらに、現代科学の発達により、進化論や生命自然発生説は完全に崩壊しているにも関わらず、
あの連中は、依然としてそれを信じさせようとしている、というのが厳然たる事実です。
      
      過去記事参照
      http://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12120422880.html


その意向を反映するあの連中の行動パターンとして、

インターネットや映画、テレビ番組で宇宙人やUFOを信じさせるマインンドコントロールは、
支配者に従属している政府の政策であったということも判明しました。


   「英米政府機関によるUFOや異星人、レプティリアンを信じさせるマインドコントロール作戦」
   http://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12117225801.html



そこで、支配者層がこぞって崇敬の念を表わしている創造者に反逆した権力者の元祖ニムロデと、
ニムロデが開祖となっていた古代カナン、アッシリア、バビロンの都市と、

聖書の歴史的記述の関係を確認しておくことにします。


もし、お手元に歴史の参考書があれば、それを開いてみてください。


まず、人類の始まりとされているメソポタミアにおける歴史は、
じつは、聖書にその多くの情報が記されています。

現代の支配者が、ずっと混乱状態に置いてきたイラク、シリア、パレスチナ地方は、
人類初期の文化や宗教、支配形態の発祥地であり、

聖書と非常に密接な関係がある土地です。

   
かつて、多くの高等批評家たちは、

聖書中にしか出てこない人物や場所は架空のものだと主張して、
長い間、聖書の信ぴょう性に疑いを投げかけてきました。


しかし、19世紀以降になって、考古学者による数々の発掘作業により、
聖書の記述が、詳細な部分に至るまで極めて正確であるということが裏付けられてきました


しかし、考古学によって証明されてきた聖書の記述の正確さについては、
一般には、一部の愛好家にしか知られてきませんでした。

その理由は、言うまでもありません。

聖書は、創造者が人類のために書き残した預言の書でもあり、
考古学的証拠によって証明されてきた歴史的事実は、

聖書の中の数々の預言が成就していることを裏付けてもいるからです。




ところで、「予言」と言えば、

ノストラダムスの大予言」や「マヤ文明の予言」など、
出回っている予言はどれも人類滅亡を予告するもので、

それは一世を風靡し、社会現象となってきました。

「社会現象」となってきたからには、
悪魔崇拝者によるマインンドコントロールであったに違いありません。

賢い人であれば、そう考えるべきです。

そして、「滅亡、滅亡...」と宣伝し続けながら、一向に滅亡しないことから、

「聖書預言も似たようなものだ」と印象操作しようとしているものと推測出来ます。





      しかし...、聖書の最後の預言は、「人類滅亡の預言」ではありません。




滅亡するのは、

創造者に敵対し続けてきた汚れた偽りの宗教の一団と、

邪悪な権力支配者の一団と、

それに従属する世界中の諸政府の一団です。  

それ以外の人々は、その滅亡に巻き込まれる必要はないのです。

(巻き込もうとしている!)



それで、聖書の歴史的記述の正確さを証明する資料を概観した後で、

すでに成就した聖書預言の一つとして、「バビロニア帝国の陥落」の例から、

「聖書のメッセージとは何か」を考えてみたいと思います。


                そうです。



成就してきた聖書預言は、近い将来、

現代の邪悪な支配形態に終わりがもたらさせる、その予型(モデル)となっているからです。


まず、「ノアの大洪水」後の記録、ノアの孫にあたるニムロデの時代にまでさかのぼります。




ニムロデが開祖になり、エホバに対抗するために立てられた
 偽りの宗教の崇拝方式と支配形態は受け継がれていった」



人類の歴史は、
聖書の創世記10章の記録にあるとおり、ノアの大洪水を生き残ったノアの息子たちから始まっています。


歴史によると、ノアの3人の息子セム、ハム、ヤペテのうち、
ハムの子クシュの四番目の子として記録されているのがニムロデです。
 (創世記10:6,8)   

    系図
    http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1301.html

 
ノアの大洪水(西暦前2370年)後、ニムロデは、エホバ神に対抗して自らの名を上げるため、

人類の歴史上最初の偽りの宗教および政治的建造物である
バベルの塔大都市建設に取り掛かった人物でした。


しかし、ニムロデのその野望は、

エホバが、バベルの都市建設に従事していた者たちの意思伝達の手段を断った
(=言語を混乱させた)ことにより阻止させられました。(創世記11章1~9節)


バベル」という名称は「混乱させる」という意味のバーラルという動詞から派生しているそうです。     
     http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000529



都市建設に携わった者達は意気消沈し、
ニムロデが開始した偽りの崇拝人間による支配形態を携えて各地に散らされました。


ハムの別の息子カナンの子孫はバベルでの分散後、どのようにしてかは判明していませんが、
西暦前1943年までには、カナン人としてそこに定着していたようです。


カナンの地には11部族のアモリ人、ヒッタイト人、エブス人、アマレク人、ヒビ人など、
ヨルダン川を挟んでアンモン人、モアブ人などが定住していました。    
 

 その地「カナン」は、遺跡の発掘により、聖書の記述にある通り、
(出エジプト23:24、民数記33:52、申命記7:5 他)

偶像崇拝、流血行為、堕落した性的不行跡、
子どもを生贄にするなどの忌まわしい慣行
が広く行われていたことが知られるようになっています。


エホバ神は、当時の神の民であったイスラエル人に対し、
汚れたカナンの崇拝に誘われて、偶像の神々に仕えることのないように何度も警告を与えました。


(申命記18章9~12節からの抜粋)
あなたの神エホバの与えてくださる土地に入ったとき、
 あなたはそれら諸国民の行なう忌むべき事柄を見習ってはならない。

 あなたの中に、自分の息子や娘に火の中を通らせる者
(生け贄)、占い、魔術を行なう者、
[吉凶の]兆しを求める者、呪術を行なう者、 .....霊媒に相談する者、

 すべてこうした事を行なう者はエホバにとって忌むべきものであり、
これら忌むべき事柄のゆえに、あなたの神エホバは、彼らをあなたの前から打ち払われるのである
。」



  「バアル崇拝や女神タニトに生贄になった犠牲者の墓石」 

      



   「聖書の記述の正確さを証明する数々の遺跡」 ルーブル美術館の展示より
    http://www10.plala.or.jp/louvre/R-3_Ori.html


 (記事より抜粋)
 「研究者たちは女神タニトバアルの妻であるカナン人の女神アシュトレテ)の姿を刻んだ
おびただしい数の石碑を見つけました。 
    (聖書の裁き人2:12、13.サムエル第一7:3,4. 申命記12:31.列王第二16:3などの記述と合致)

中におよそ2万個もの骨壺があり、生贄になった犠牲者の骨炭が入っていました。
碑文の内容から子供たちが(犠牲として)捧げられたのは、
その親がバアルやタニトにかけた願いを果たすためであったことが分かります。」


    



現代の支配者達による古代カナンと共通の悪魔崇拝の方式について、
ネット上のブロガーさんの情報によると、こう書かれてありました。


    「世界を支配しようとしているニムロデの子孫たち」
   http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda3/nimrod.htm


「モロクは、火による犠牲を要求する神であり、その象徴の一つはフクロウである。 

バビロニアの月の女神イシュタル(アシュトレテ)が、2羽のクロウに挟まれて立っている。

ボヘミアン・グローブで、世界の指導者は、フクロウの像の前でモロク礼拝をしている。」


       
 
 
 

ニムロデは、バベルの塔建設を阻止された後に、自分の領土をアッシリアの領地にまで広げ、
そこに、「ニネベ、レホボト・イル、カラハ、レセン」を建設しました。

聖書に、『これは大きな都市である』とあります。(創 10:11,12)

ニムロデの死後、彼は神格化されてゆきます。




     『アッシリア』


『大きな都市』アッシリアは、偽りの神々を信奉する偶像崇拝、狩猟、流血、
残虐行為を特徴とした軍事都市だった。

王や兵士たちは残虐なライオン狩りをスポーツとして楽しんでいた。       

  


        

 

 

 

 

 

 


         

 




      アッシリアのニネベの北の王宮から出土した彫り物。

     王とその王妃が園遊会を楽しんでおり、竪琴を弾く人の前にある木には、
     征服された王の首が掛けられている。 

    

 
 
      自らの偉業を描写した彫り物には、恐るべき残忍さと強欲さが示されている。

    彼らに反逆した者に対する処罰として、

    「彼らの皮をはぎ、彼らの皮で柱を覆った。
    ある者は柱の上で杭に突き刺した。反逆した王室の役人どもの手足を切断した
。...」

    などの説明が延々と記されているという。



            今では有名なアッシリアのサルゴン王(右)について、
            長年、聖書の記述でしか知られていなかった。

               


  現在のイラクのコンサバードの近くで発見されたサルゴンの宮殿の入り口の装飾。
 
 
            
 
              高さ4メートル40センチ、足が五本ある。

    

 
 
      博物館の展示は観光客を圧倒し、魅了する。
 


    
         「アッシリアのニネベのセナケリブ王の王宮の壁の浮彫り」

  セナケリブ王がユダの都市ラキシュからの略奪品を受け取っているさま描いている。
  聖書の列王第二18章の記録を裏付ける遺跡。

        

 
         

 (大英博物館)   
セナケリブ王によるイスラエルへの軍事遠征、ユダのヒゼキヤ王を攻めたことについて、
セナケリブ側の説明が書かれてある。(列王第二18,19章の記述を裏付けている。)

               

                                     
   


   アッシリアによる攻囲の際、エルサレムに水を供給できるようにするために、
   エホバに忠実だったユダのヒゼキア王が岩盤の中に掘らせたトンネル。
   (列王第二20:20)

          
 
   ヘブロン大の研究隊の調査により、聖書の列王記に記されている通り、
   紀元前700年頃に建設されたものであることが判明し、
   2003年9月11日発行の「ネイチャー」にて発表された。(毎日新聞2003年9月11日)




  イスラエルのエヒウ王、もしくはその使者が、シャルマネセル3世に貢ぎをささげている。
   (列王第二18章を裏付けている。)
   
  
   


モアブ碑石は、聖書に記されているイスラエルに対するモアブのメシャ王の反抗について、
メシャ王側の説明を詳しく記録している。(列王第二1:1, 3:4,5)

          


碑石の説明には、エホバの名を示す四文字語(テトラグラマトン)が含まれている。

当時、エホバ神の敵でさえ、
エホバ神の「エホバ」という名を頻繁に用いていたことを示している。


       以下は、1世紀前半の聖書の死海写本の「詩編138編」の断片。
       神の名を示すテトラグラマトンが多数記されています。
    
     

      画像元 http://www.ancient-hebrew.org/bible_psalm138.html

 

 
  現在、バチカンやプロテスタントは、聖書から「エホバの名」を意図的に削除しています。




モアブ碑石はまた、聖書に出てくる数々の地名にも言及しています。

アタロトとネボ(民数記32:34,38)、アルノン、アロエル、
メデェバとディボン(ヨシュア13:9)他、

数々の地名に言及し、聖書の史実性を証明しています。
  


聖書時代のヒゼキヤ、マナセ、オムリ、アハブ、ペカ、メナハム、ホシェアなどの
ユダやイスラエルの王たちの名は、アッシリアの王たちの楔形文字の記録に出てきます。


今日、イスラエルの地を訪れる人は、
聖書が、その地とその地の特色を非常に正確に描写していたことを知ることが出来ます。



シナイ半島の地理調査隊の指揮者であったゼエブ・シュレマー博士は
かつてこのように語りました。

もちろん、我々は自分の地図と地理測量図を携えているが、
聖書と地図が食い違っている場合には、聖書の方を取ることにしている
。」

       (「ザ・サン」 カリフォルニア州サン・ベルナルディノ、1967年10月19日号、B-12p


また、著名な考古学者ネルソン・グリュックは、こう書いています。

考古学上の発見で、聖書の記述の反証となったものはないと断言してよいであろう。

 聖書中の歴史的な陳述について、そのはっりした輪郭を、
 また厳密な細部を確証する考古学上の発見は幾十となくなされている
。」 

                     (「砂漠の川」ネルソン・グリュック、1959年、31p)


「旧約聖書の科学的研究」(英文)の213,214Pで、R・D・ウィルソン教授はこう述べています。

年代や地理に関して、そこに記されている事柄は、
古代の他のどんな文書に述べられているよりも正確で信頼に値する。

また、(聖書の)伝記や他の歴史上の説明は、聖書以外の文書から得られる
他の証拠とも驚くべき調和を保っている
。」







「創造者エホバ神が、カナンを絶滅させることを定めたのは何故か?」


紀元前1473年、
モーセが記した申命記 20章17節のエホバからのカナンに対する宣告は次のようなものでした。


ヘト人(=ヒッタイト人)アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、
あなたの神
(=エホバ)主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない」。
                            「新共同訳」,共同訳聖書実行委員会


エホバ神は、

アブラハムに対し、『アモリ人のとが(=罰せられる行為)が満ちるまで』と言われ、
カナン人を滅ぼし絶やすまでに、400年の期間を猶予されました。(創世記15:13~16)


カナン人に、悔い改めるための十分な時間を与えるためでした。

それと同時に、
400年後には、カナン人の悪が矯正不能の状態に達することを見越していたからです。


カナン人が絶滅したことについて、聖書の記述に精通した考古学者の解説に注目してください。

    http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2010006#h=8
    http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000874


「ハーレイの聖書ハンドブック」(1964年,161ページ)はこう述べています。

聖書歴史家ヘンリー・H・ハーレイによると、その地域で発掘を行なった考古学者たちは、

バアル(カナン人の主要な神)への生け贄にされた子どもたちの遺骨の入った壺を
大量に発見し
」ました。

ハーレイはこう付け加えています。

その全域が新生児の墓地であった。……

カナン人は、自分たちの神々の前で宗教祭儀として不道徳行為にふけることにより、

またその後、自分たちの長子をそれら同じ神々への犠牲として殺害することにより礼拝を行なった。

カナンの地は大方、国家的規模でソドムとゴモラのようになっていたようである。……

そのような忌まわしい汚れや残虐行為を事とする文明に、
それ以上存続する権利があったであろうか。……


カナン人の諸都市の遺跡を発掘する考古学者は、

神がなぜもっと早く彼らを滅ぼさなかったのだろうかと不思議に思うほどである
」。

(記事より抜粋 おわり)



考古学者が述べているように、

カナンの邪悪な支配と汚れた宗教的慣行とその結末(滅び)について、
聖書の預言はすべて成就しました。


カナンの宗教的慣行は、創造者エホバ神に対抗する悪魔崇拝であり、
考古学者の言葉にある通り、人間の目から見ても絶滅にふさわしい邪悪で汚れた文明でした。


とはいえ、エホバ神は、裁きの際に、カナン人をだれかれ構わず処刑したりはしませんでした。

異教の者であっても、
悔い改めて、エホバに従った人々は救出されました。
(ヨシュア 9:3‐11,16‐27 ヘブライ 11:31)




ニムロデが開祖となった宗教的慣行を受け継いだ大きな都市(カナン、アッシリア)は、
やがて、バビロニア帝国という世界強国として栄華を極めることになります。      


バビロニア帝国に関しても、発掘された数々の貴重な遺跡や資料により、
聖書の記述の際立った正確さが裏付けられています。




        「バビロニア帝国」


  ルーブル美術館 オリエンタルコース 
  「聖書を片手に見学順路の手引き」
  http://www10.plala.or.jp/louvre/R-1_Ori.html


  ペルガモン博物館と聖書 (※音が出ます)
  http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6671/pergamon.htm


(記事の冒頭部分からの転載)
「ペルガモン博物館はドイツの首都ベルリンの博物館島にあり、

 聖書関係の展示がたくさんありますが、とりわけ古代バビロンの イシュタル門と隣接する
行列道路の実物が復元されていることで有名です。

 聖書中に出て来るバビロンの町はあまりにも長い間、塵の下に埋もれて いたために、
その存在そのものが疑問視されていましたが、

1887年以降ロバート・コルデバイ率いるドイツの発掘隊により
 その壮大な姿が明らかにされました
。」




                 観光客を魅了する「イシュタルの門」 

  
 

                   壁のレリーフ
   




                  ナボニドス年代記
           
 
       
それまで聖書にしか登場しなかったベルシャザル王について、

聖書の批判者たちは、「存在しなかった人物」と唱えていましたが、

ナボニドス年代記の発掘により、
聖書のダニエル書(5:1~31)の記述の方が正確であったことを裏付ける結果になりました。


         ペルシャ帝国を創設したキュロス王の円筒碑文


       

 
 
キュロスの円筒碑文は、

聖書のイザヤ書、エレミヤ書に記されたバビロンの陥落に関する預言の成就が史実である
ということを裏付ける重要な証拠の一つとなっています。



聖書の記述の正確さを裏付ける重要な遺跡や資料は、まだまだ多数存在します。
ここでご紹介したケースは、ごく一部でしかありません。

 
人類初期からの宗教や支配体系の土台となった時代に関する重大な出来事を詳細に、
しかも、極めて正確に記録されているという点で、

聖書がこれほどまでの高い評価を得てきたということが、
あなたの耳に入ってきたことがあったでしょうか。


歴史の授業やメディアの報道で、広く知られるようになってはいないだけでなく、
貴重な考古学的資料は、

博物館などで、観光客の集客のために利用されているだけではないでしょうか!?


しかも、圧倒的な迫力ある遺跡群で観光客を魅了することにより、
人々は、全く自覚のないままに、悪魔崇拝者にさせられてしまっているようなものです。

これから起きようとしていることを知らないからです。


これから起きようとしていること......。





     「聖書預言の成就ー栄華を極めたバビロニア帝国の滅び」


    jw.org 聖書の歴史におけるバビロン

現在のバグダッドの南80㌔ほどの肥沃な平野にあった古代バビロンは、実に堂々たる都市でした。

ユーフラテス川に囲まれて堀が巡らされ、どっしりとした二重の城壁で守られ、
難攻不落と言われていました。 



幾つもの壮麗な神殿(50と言われる)があり、空中庭園、神殿塔で知られた大都市でした。

  幻の都市「バビロン」 
  http://matome.naver.jp/odai/2136809814937732901

     ネブガドネザルが築いた空中庭園の想像図
     

 



聖書の中では「もろもろの王国の女主人」と呼ばれており、

聖書の歴史における第三世界強国の首都でした。(イザヤ 47:5)

バビロニア帝国は、それ以前の帝国であるエジプトアッシリアと同じく、

聖書の歴史において際立った役割を果たしました。

この都市に関する聖書の記述と一般の資料を比較するのは興味深いことです。

聖書の「歴史的記述が正確だ」ということだけでなく、

預言の言葉が完璧に成就したことを知ることが出来るからです。


(つづく記事からも聖書預言の正確さを知ることが出来ます。ぜひ、お読みください。)