炭素繊維⑨ 試行錯誤 | I´s Studio

炭素繊維⑨ 試行錯誤

みなさまこんばんは・・・


連発予告をしましたので、続けて炭素ネタいきますヽ(゚◇゚ )ノ


なんか書いてたら目が冴えてきて・・・眠れませんでした・・・


でも・・・やっと眠くなってきましたので、この分を公開してお休みします・・・


釣具ネタ・・・今回終わる予定だったのに・・・次回にも続きます・・・


自転車ブログのはずなのに・・・


昨日の夜訪問されて無い方は、前回の記事から読んでくださいね!



さて・・・


釣具業界に進出した東レ・・・


東レの炭素繊維を使った最初の釣り竿は、1972年2月の釣り具見本市にオリンピック釣具社から


鮎竿「世紀」として出展されました。


その1年前の1971年、兵庫県西脇市にある釣り針メーカー「がまかつ」・・・誰でも知ってますよね?


そのがまかつが、釣り竿の製造を目指した基礎研究を始めました。


当時のがまかつには、竿を作る工場もなければ、竿製造の技術者もいませんでした。


がまかつの藤井繁克社長(現・会長)自ら他社の釣り竿を切断して構造を確認したり、


一部を燃やして成分を調べるという分析から始めたといいます。


それは、既存の釣り竿に満足できず、いつかは自分の理想とする釣り竿を作りたい!


という夢を持っていたからです。



がまかつが竿作りの基礎研究を始めた翌年、東京で行われた釣り具見本市で、オリンピック釣具社から、


例の日本初のカーボン・アユ竿「世紀」が発表され大きな話題を呼びました。

東レの炭素繊維「トレカ」のプリプレグを使った世紀シリーズは、従来のグラス竿よりも軽く、


反発力やアタリの伝達性に優れていました・・・コレは東レの予想した通りの結果でした。


当然、竹、グラス繊維に続く「第3の素材」として、新聞やテレビにも取り上げられました。



釣り竿はすでに竹からグラスファイバーの時代へと移行していたが、一部の釣りファンの間では


「グラス竿は素人が使うもの」という見方が残っていた。


断熱材・防火材として航空機等にも使われていたグラス繊維で作るグラス竿は、


昭和20年代末には日本の釣り竿メーカーからも次々と発売されました。


グラス竿は竹竿と違って水に濡れても性能劣化が少なかったので、


丈夫で安価なグラス竿はすぐに釣り竿の主流となりました。

しかし、グラス竿は竹竿に比べると重く、アタリに対する感度が鈍かったんです。


このためアユ釣りや渓流釣り、へら釣りでは、1970年代になっても和竿の愛用者が多かった・・・竹製ですね。


そんな中、軽くて感度がよい力-ボン竿が登場しました。


グラス竿に見向きもしなかったアユ釣りや渓流釣りのベテランたちも、


新時代の釣り竿である力ーボン竿に大きな期待を寄せました。


が・・・最初のカーボン竿は炭素繊維の「軽く、強く、感度がよい」という特性を十分に生かし切れていなかった。


がまかつの藤井社長は、そのように見ていました。



力ーボン竿の製造方法は、基本的にグラス竿と同じです。


接着剤に相当する熱硬化性樹脂(主にエポキシ系です)を炭素繊維に含浸した「プリプレグ」


と呼ばれるシ一トを、圧力をかけながらマンドレル(芯棒)に巻きつけます。


これを120度~130度の温度で焼き、硬化したらマンドレルを抜き取る。


んで、両端を切断して長さをそろえ、研磨、塗装の工程を経て完成します。


ところが、開発当時は、グラス・シートは縦横に繊維があるのに対して、


力ーボン・シートは縦方向の繊維しかなかった・・・


そのままでは横方向の強度が不足するので、強化材が必要になる。

このため東レは、縦方向に炭素繊維、横方向にグラス繊維を織り込んだプリプレグを開発。


このプリプレグは厚かった・・・なので径の細い部分はマンドレルに巻き込むことができず、


竿の穂先から数段分はグラスファイバーのみのシートが使われていたんです。


当然ですが、グラスだけの部分とカーボンを入れた部分では弾性に大きな差があります。


その継ぎ目は、竿が曲がったときに力が集中して折れやすくなってしまう。


炭素繊維の比重は1,8。


対してグラス繊維は2,4。


カーボンが入っている根元に近い部分は、従来のものより細く軽くできたんですが、


竿の先の部分は重いグラスですよね?


当然、バランスが穂先の方に寄って、重量バランスが問題になりました。


そこで、まずグラスファイバー部分との継ぎ目にかかる力を減少させるため、


継ぎ目部分のテーパーをきつくしたり、継ぎ目部分を厚くして、折れに対する強度を持たせました。


さらに重量バランスを良くするために、強度的にはもっと細くできる部分をわざと太くして


重心を竿の手元側へ寄せたりしました。



当時、グラス製アユ竿は一番長くて7メートルちょっとで、重量は軽くても1020グラム~1030グラムでした。


カーボンを使えぱ500グラムのアユ竿を作ることも技術的には可能だった・・・


けど、最終的には竿長7.2メートルで690グラムになってしまった。


力ーボン含有率も50%ほどだったので、現在のカーボン竿のように全体がシャキッとした感じもなかった。



そんな中、1976年、がまかつの釣り竿工場が完成しました。


で、翌77年には、初の釣り竿「がま鮎レツド」を発売します・・・


この竿・・・素材は東レ製カーボンで、プリプレグはカーボンとグラスの織物でした。


そう、東レはがまかつと組んで釣竿開発を始めたんです。


ちなみに、この竿は竹の模様を入れ、元竿に藤巻きを施したおしゃれな竿でした。



このがまかつと組んだことによって、藤井社長の妥協をしない姿勢が、


東レのプリプレグ開発を加速させることになるんです。



藤井社長は、常に新しいもの、性能のいいものを求めました。


東レは、そういった要求に対してに対して、開発スピードを加速させ、原糸はどんどん多様化し、


クオリティもレベルアップしていきました。


竿の開発当初は、原糸の弾性率が20トンぐらいのものでしかなかったんですが、


藤井社長の、「もっと張りのある竿が欲しい」という要求に、弾性率を上げ、30トンをつくり・・・


40トンをつくり・・・50トンをつくり・・・と、どんどん弾性率の高い原糸を提供し続けました・・・


がまかつは最初に発売した竿に続いて、磯竿バージョンである「がま磯レツド」を加えた後、


同年末には「がま鮎シルバー」を発表しました。


この、がま鮎シルバーは、新開発のカーボン・シートに、縦横に繊維が入った


薄い平織りグラスクロス(スクリムクロス)を張り台わせたプリプレグを使用したものでした。


その重さは・・・7.2メートルで・・・なんと410グラム。


それまでのカーボンロッドよりもはるかに軽く、反発力が強い竿になりました。

その後、がまかつは高弾性カーボンを使ったゴールド・シリース、軽量化したSSシリーズを相次いで発表し、


釣り竿メーカーとしての地位を築いていったんです。


さて、そんな藤井社長が東レに対して無茶な要求をしてきました・・・


この続きは次回に・・・


では(^-^)ノ~~