先日、2013年2月10日(日)に友人の岸本くんと一緒に、伊東市にある大室山に向った。目的は、700年以上続く「山焼き」を見るためである。実は、昨年の2012年9月に、岸本君と「伊豆へ行こう!」と18切符で、突然決めて、偶然降りた駅が、伊東であった。自分は、静岡県出身で、伊豆へは家族旅行で何度か来たことがあったが、伊東は初めてで、自然や人、そして大室山を目にし、「また行きたいな」という気持ちが叶ったカタチであった。
(大室山の山焼き、火をつけ、消すのは地元の消防団のみなさん)
2月10日の早朝6時に伊東市のホテルを出て、大室山へ向う。電車の車窓から、ちょうど太陽と雲が被さり、広い海の一部が光でカーテンから出るまばゆい光を見ながら、これから起こるであろう、出来事と重ねているようであった。
8時前に大室山の麓に着くと、20~30名が列をなし、今か今かと待っている。9時に、70枚限定で大室山に「火をつける権利」の整理券を待っているのだ。大室山の山焼きは、外側の斜面と、ロープウェイで山に登ると、内側が山をスプーンですくったような丸い綺麗なカタチを成す。
この火をつける権利を自分たちも得るために、並び始め10分、15分とどんどん人が並び始める。
(長蛇の列。70名の定員で推定120名が並んだ模様。)
運良くチケットを手に入れることが出来た。それでも大室山を見上げながら「あと一本電車が遅ければ」と冷や汗が一瞬つたった。そして、9時半から始まる山の内側の山焼きを見るためにロープウェイで頂上へ行く。(所要時間:5分、料金:400円)
天候が良く、少し肌寒かったが、富士山が一望することが出来、目の前に広がる太平洋は、雄大であった。そこに昇り始めた太陽の光が、静かに海に反射する。
(山の頂上からの太平洋)
その静けさとは反対に、これから始まるであろう炎の勢いはちょうど反対であった。
以前、僕は京都市の鞍馬で毎年開かれる「火祭り」の撮影をしたことがあった。「さいれーい!さいれーい!(祭礼)」の大きな掛け声と、「バチッ!」と明るいオレンジ色の炎にレンズを向けたとき、人工的な火にない、柔らかく頼もしい炎の燃え上がりをじっと見ていたのを思いだした。
同時に、燃え上がる炎は本能的に、「良いものを撮ってやる!」とメラメラ燃えいた。
9時半に「花火」の合図と共に、地元の消防団の方が山に火をつけ始める。
(大きな音を立て、燃え上がる。)
(そして、上下に猛スピードで駆け上がり、代わりに黒い綺麗な跡をのこす)
(濃い橙色に光る太陽、そして煙)
(火を消す消防団)
自分は、夢中でシャッターを切った。煙が熱気となり、目の前を灰色にしていく。その中に跳び込みシャッターを切っていく。シャッターを切り続けていく中で、炎と大室山の深さというのを受け入れるような感覚になる。こういう感覚は、カンボジアで鉱山労働者を撮っているときもそうだった。労働者に向き合い、一緒に仕事をさせてもらい、寝食を共にし、杯を交わす、そう考え、向き合い続けると、「受け入れる」という感覚に自然となっていく。
11:45分、火をつける権利の整理券を持ち、集合場所に行く。いよいよ、大室山の外面に火をつける。いい感じの疲労感で、たいまつに点火し、火をつけていった。
(たいまつに火をつけ、大室山に70名一斉に火をつけていく。)
(燃える大室山を緊張な面持ちで見つめる人たち)
20分もしないうちに、麓から頂上まで一気に綺麗に燃え上がり、同時に山が夏から冬に季節が変わるように、色が変わっていく。その美しさ、そして儚さは、今こうやってブログを打っていて、誠に不思議で、人の人生のように感じる。
(新しい姿になった大室山)
行って良かった、悪かったということ以前に、変わり果てた大室山を見ながら、「こういう場面が好きだなぁ」と独りで勝手に考えていた。
締めでも、何でもないけど、また機会があったら行ってみようと思った、いつかね。
(以上撮影は、H25.2.10 撮影:黒田淳一)