ニーナ嬢待ち伏せと、一筆書き乗車と、久々のてっぱく | PRYCE16写真日記

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このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

8:43、南越谷から武蔵野線の最前列を陣取り、時計とスマホとにらめっこしながら、まずは1枚。

 

 

8:49、新座ターミナル通過。桃太郎がこちらを向いている。

 

 

内回り(?)方向を向いている金太郎の次位には鮫が。しかしパンタが片方だけだが上がっているという珍しい光景だ。なので「ムド」ではないのかもしれないが、重連する必要もないだろう。

 

 

8:54、どこか(←もはや投げやり)で金太郎とすれ違う。

 

 

9:24、色々迷ったが、西国分寺駅まで来てしまった。ココで待ち伏せするのは…

 

9:31、あのEF66の、原型色というか特急色というかの、しかもプチ整形前の姿を保った唯一の27号機がやって来た。三脚を使用しなかった為(駅のホームでは使用禁止な事が多い)、ケツが切れてしまった。ボクもまだまだだ。

 

 

更に近づいてくる姿を追うと、どうしても日の丸になってしまうが、まあこの位ならさほど問題でもないかもれない事もなくない。

 

 

 

更に近づいた姿を、ズームを引いて、ピントを合わせ直した所、やはり日の丸に。だがこれはいただけない…。という訳で、昨年三月、所用で大阪を訪れた時(笑)に、百済ターミナルで見て(笑)以来1年振りのEF66 27、通称「ニーナ」との再会となった。その頃はこの「ロクゼロ」ことEF66の0番台は(多少整形されてはいたものの)まだ数両が稼動していたのだが、現在は遂に最後の1両となってしまった。

 

 

その後中央線下りに乗るも、ホーム端にはニーナ嬢以上のテツヲタの方々がひしめきあっている。一体どんなすごい列車がくるのだろうと思っていた所、こんな(189系)である事が判った。変な色に塗られてはいるものの…といっても、横軽終焉の頃に何度か訪れた事のある身にとってはむしろ馴染みのある色だ。こちらもまもなく終焉なのだろうか。あれから20年、よくぞこの姿で残り続けていたものだ。

 

 

豊田の車両基地に、(ボクにとっては)見慣れた201系が1両だけ残っていた。どうせなら1編成4両という訳にはいかなかったのだろうか。これも一種の「生首」状態である。

 

 

八王子から元祖「走ルンです」に乗り…

 

 

川越から223系に乗り…

 

 

大宮駅構内でEF65を待ち伏せする。1本隣の線を通ると思っていたので6番線で待ち伏せしたのだが、結果こんな酷い事に。これなら8番線で撮ればよかった。ココまで一筆書き乗車により、わずか310円。

 

 

 

本日の昼食はコチラ。場所は変われど、相変わらずのこれだ!(笑)

 

 

 

アルシェ1階のイベントスペースにいつもの人だかり。だがいつもなら「撮影禁止」の張り紙と共に、怖そう係員が目を光らせているのだが、今日は撮影OKなようだ。なので急遽ライブを見ていく事にした。

 

 

CHERSEA…は解散してしまったが、こちらはCHERRSEE。新メンバーを加えてリニューアルしたらしい。いやそれにしても…凄かった!あのprediaがキッズグループに見えてしまう位のお色気だ。CDの1枚でも購入して全握に参加して「良かったよ!」と一言声をかけたい衝動に駆られたものの、必死で我慢した。

 

 

それからプータロー時代に就職支援会社を訪れた帰りに必ず立ち寄っていた鉄道博物館を約半年振りに訪れた。しばらく来ないうちに、元祖総2階建て新幹線が収蔵されていた。

 

 

本日のお目当ては当然、この何もかもが原型であるEF66。ニーナもかなり往年の姿を留めてはいるものの、運転席上のエアコンはかなりヤボだ。それ以外にもパンタグラフが下枠交差式だったり、もっと細かい事を言えば、密着自動連結器の空気管が撤去されていたりする。なのでこのEF66 11こそが博物館級の完璧さを保った車両であるのだが、しかしこうして狭くて薄暗い場所に押し込められてしまって2度と動く事が出来ないというのは、果たして素敵な事なのだろうか。ニーナは酷使され、かなりきったなくなっていたが、それでもなお素敵であった。やはり動く奴にはかなわない。

 

 

しばらく来ないうちに、各部がかなり大掛かりに変わっていた。まずは1階の「日本食堂」と、2階のおみやげ店が共に消失していた。

 

 

日本食堂は、かつての2階にあったTD(?)の位置に移動していた。TDは何処へ行ったのか。そもそもTDとは一体何だったのか。あそこのナポリタンはナポリタンでなく、ただのトマトスパゲッティーだった。

 

 

2階の壁面に大型のプロジェクターが設置され、非常に興味深い映像が常時流されていた。

 

 

2012年位で止まっていた鉄道年表の向きが変わり、全面リニューアル。2030年頃まで色々と書けそうなスペースが捻出されていた。削られた記事は一体何か?

 

 

2階最南端の無骨な壁面に、新館へと向う通路が設置されていた。但しまだ未開通。

 

 

高崎線や埼京線を見る事が出来る東側の窓にテーブルが設置され、くつろぎやすくなった。

 

 

だが反面、写真は撮り難くなった。安中貨物を待ち伏せ。今日はトキが5両のみという寂しいものだったが、この構図ならばそれもあまり気にならない。

 

 

鉄道運転場は、ガラスがなくなり、このような写真も撮り易くなった。貨物が結構充実していた(笑)。

 

 

D51のシミュレーターが、ヒストリーホールの北の端に移動していた。

 

 

かつてシミュレーターがずらりと並んでいた場所はおみやtげ店に。他のシミュレーターは何処に?

 

 

屋外のミニ運転列車にまさかのEF55。この不恰好でありながら妙にリアルな車両群はどれも一見の価値アリだ。

 

 

17:28、新型車両によって帰路につく。今日もまた鉄道三昧な一日となった。

 

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