祈りの空間@ドイツ | संस्कृतसागर サンスクリット・サーガラ(サンスクリット語の海)埼玉在住サンスクリット語講師

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世界で一番難解と言われる古代インドのサンスクリット語。ヨーガ、アーユル・ヴェーダ、インド思想、インド占星術etc.インド文化に関心を持つ人へ、サンスクリット語の視点を中心に様々な言葉の由来や正書法、雑学について

インドやサンスクリット語から離れたテーマが続いて申し訳ないですが

 

先月のドイツ旅行で、あらためて

私は祈りの空間が好きなんだなと気付きました。

 

到着した翌日、フランクフルトから電車で1時間圏内の

古都ハイデルベルクに足を伸ばしました。

ハイデルベルク城を中心とした中世~近代の街並みが残る古都です。

街の中心広場の近くに聖霊教会がありました。

 

私はクリスチャンではありませんし

キリスト教の教義や聖書については

教養程度の知識しかありません。

でも何故か教会や修道院に行くと

何とも言いがたい感情が湧いてくることがあります。

 

聖霊教会に入ると

高い天井とアーチ、薔薇窓。

意識は自然に天に向かっていくよう

ちょうどパイプオルガンによる賛美歌の演奏中でした。

美しい…

 

あとから知ったのですが、ここの教会は

カトリックとプロテスタントの争いを発端にした17世紀の30年戦争の後に、

内部にカトリックとプロテスタントを分ける壁があったというので驚きました。

その壁が撤去されたのは1936年。

たった約80年前です。

歴史の業は深いですね…

(今はプロテスタントに属するそうです。)

 

次の日はフランクフルト市内観光。

 

ゲーテ博物館、いくつかの美術館、博物館を巡りましたが、

なにせ家族とくに子どもは、教会をいくつもみて回っていると退屈してしまうようなので、縁のあったところに立ち寄れればいいな、と割り切って、

(どこの教会がどんな特徴、等もわかりませんし)

ちょうど観光名所でもある街の中心にある大聖堂に立ち寄りました。

 

ローマ皇帝の戴冠式も行われたという由緒ある大聖堂で、

高い天井と壮麗な薔薇窓に圧倒されます。

 

薔薇窓 

 

 

 

子どもがロウソクを購入して献灯しました。

 

かれこれ18年前、新婚旅行を兼ねた自由旅行で

イタリア、フィレンツェの

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に入ったら、

たまたまミサの時間に重なり次々と礼拝する人が入ってきて

身動き取れなくなり、そのままミサに参列する形に

なってしまったことがありました。

 

福音の言葉(意味はわかりませんが)と賛美歌(訂正)→ミサ曲の美しさと、

傾いてゆく夕日で色が変化していくステンドグラス、薔薇窓の美しさと、

祈りに満ちた空間の暖かさと静謐さに心打たれながら

見よう見真似で手を組んで

祝福を受けさせてもらいました。

最後に平和の挨拶を周りの人達がし出して

イタリア人は日本人の私達を見ると

「おや?」という顔をしましたが

暖かくハグしてくれました😅

 

その次の日もローマの大聖堂でミサの時間に重なって

(このときは外国人は中まで入れなかった)

ミサ曲の調べに涙し、

その後にパリのノートルダム大聖堂に行ったときも

差し込む陽の光の神々しさと

薔薇窓の美しさに感動しました。

 

ヨーロッパの古い教会は

ロマネスク様式、ゴシック様式、バロック様式、など色々ですが

いってみればこういうのは

「空間設計」であり、神秘的な体験をさせるための「装置」。

というふうに客観的に考えることもできますが、

それでもやはり、二千年かけて築き上げられてきた

信仰の場、祈りの場としての畏怖を感じますね。

  

私が子どもの頃、うちには亡くなった祖父母の墓がまだなく

しばらく遺骨をお寺に預かってもらっていたので

年に何度もお寺へ行く機会がありました。

木造の広い空間にたち込めるお線香の匂い、

読経の声、太鼓や木魚の音になぜかワクワクして

たぶん、そういう体験があったから幼心に

仏教に親しみを感じていたのだと思いますが、

もし身近にキリスト教の教会があったら

最初にキリスト教に親しみを持っていたのかも

と思わされる経験でした。

 

Dona nobis pacem

我らに平和を与えたまえ

 

 

(そういう聖なる場にありながら、

最近ドイツでもカトリック教会の多数の聖職者による

長年の児童性的虐待が明るみに出ましたが

本当に許せないです)