漸く冬らしくなってきましたね・・・立冬・・・明日からは「小雪」です。私は寒いのも、暑いのも嫌いですが、四季は四季らしくあって欲しいと思います。その方が食べ物も美味しいし・・・熱燗に脂ののった魚で一杯なんてイイですね(^^)/
さて・・・
兄弟姉妹に
恋愛感情が芽生えないのは
なぜでしょう。
それは
血が繋がっているからだと
思っている人が多いですよね。
では
血が繋がっていると知らずに
大人になってから
出会ったらどうなるでしょう。
恋愛感情が芽生えても
まったく不思議ではありません。
逆に
兄弟姉妹だと思っていた相手と
血が繋がっていなかった場合はどうでしょう。
その事実を聞いて
恋愛感情は芽生えるでしょうか?
法的な兄弟姉妹とは
血液のつながりです。
でも
人の心が認定する兄弟姉妹は
血液とは関係ない。
兄弟姉妹だと信じて
一緒に暮らしてきた記憶が、
特別な関係を生み出しているのです。
さてさて・・・
私の心は
どこにあるのでしょう。
やはり
脳みそにあるのでしょうか。
それとも
胸(心臓)にあるのでしょうか。
あるいは
肉体とは別の次元に、
そっと置かれているのでしょうか。
魂と心は
同じなのか。
それとも
全く別のものなのか。
答えは
死ぬまで分かりません。
私の予想は
「別モノ」だという説。
それは
経験から来るものです。
生まれた瞬間に
性格が決まっている。
元からそうだったとしか
考えられない。
自分にも、
自分の子供にも、
そう感じることが多々あります。
だから
「魂はあるのだろう」としか思えません。
一方で、
記憶という脳内情報が、
人の価値観を作っていることも
事実です。
もし
完全に記憶を無くしたら、
私は
私ではなくなってしまうでしょう。
残念ながら
愛しい我が子も、
数十年来の友人も、
あかの他人になってしまうのです。
生まれてから
今までの記憶を、
完全に入れ替えることが出来るなら。
家族を
入れ替えることも可能。
立場を
入れ替えることも可能。
つまり
別の人間になって、
別の人生を生きることが可能になるのです。
この考えに基づくと、
人間=記憶という
図式が成り立ちます。
実際
この社会における立場は、
お互いの記憶によって
できているのです。
すべての人が
完全に記憶を無くし、
記録も無くしてしまったら。
借金は消える。
権力も消える。
国籍も消える。
家族も消える。
全てが
消えてしまうのです。
そのとき性格は
どうなるのでしょうか。
まったく変わるような気もするし。
やっぱり
元の自分を引きずるような気もするし。
記憶が入れ替わっても
魂は同じ。
だけど
心は別人。
そうなるような
気がします。
では
ビジネスでは、
どちらに
アプローチするべきなのか。
身も蓋もないようですが、
魂ではなく
心だと思います。
欲しいという欲求や、
特別だという思いは、
脳みその記憶で
作られた錯覚だからです。
ターゲットとは
記憶に他なりません。
どのような記憶を持った人が、
この商品、
このビジネスのターゲットなのか。
そこに
どのような情報を加味すれば、
心が動くのか。
商売とは
記憶で
心を操るゲームなのです。
多分・・・(^^)/