文科省が施行したゆとり教育について、今回公民科の先生の現大学教授の方とゆとり教育について議論させて頂きました。
論点は「ゆとり教育は失敗だったか?」についてです。そもそもゆとり教育は倫理に出てくるアメリカの思想家の考えから出てきたもので話せば長くなるので今回は割愛させていただきますが、ゆとり教育で俗に言う失敗は学力の低下が今、私の頭に思いつく事でして他にもデメリットはあると思います。また世論などが問題視したことで一つの社会問題になっていることは論じるまでもありません。そこでメリットはなかったのかどうか考えました。メリットは高い学力を持つために勉強した者と、勉強しなかった者との間にヒエラルキーが出来たこと。これは一見メリットに見えないかもしれませんが、資本主義社会において好都合であるということ。すなわち身分社会は統率しやすく、差別化を謀ることが出来る。もう一つは家族との交流が相対的に増すこと。しかしこの例は私には思いつかないので書きません。話を戻しますと、まだ前者のメリットがデメリットに感じる人が多いと思いますのでもう少し掘り下げてみようと思います。私が思うに就職氷河期と呼ばれる現代において、企業は優秀な人材のみ取り入れようとしています。その中での選別方法として、学歴、教養、人柄、性格など様々な選別方法があり、社会的教養をゆとり世代の中で身につけた人間とゆとりに乗っかって身につけなかった人との間で明確な差が出来る。(昨日の記事の教養のある友人は土日は本と勉強に当てていたそうです。そんな人に土日に何もしていなかった人が就活で勝てっこありません。)つまりゆとりは土日で社会的教養や学問などを自宅で身につけられるということ。そして、そもそも「ゆとり」とは字のごとく時間的ゆとりを示すのではなく、精神的ゆとりを示します。決して勉強時間を減らすということではありません。さらに一番身近な大学受験においても考えてみますと、過去の歴史から近年の入試傾向でも難しくなってきていることは明白です。ゆとり世代の私たちに対し大学が考慮したとするならば、問題は易化するはずではないでしょうか?、ゆとりの代表核ともいえる休みを増やしても、学力低下を招く原因は生徒自身にあるのではないか?そういう疑問が浮上してきます。繰り返しますがゆとり教育は詰め込み教育ではないということです。
あまり話が上手くまとまりませんでした。疑問があればコメントをお願いいたします。
大学教授の先生には議論して頂いたことを感謝いたします。
そして様々な方々にブログを見て頂きまして、大変感謝のする限りです。
また書く機会があれば書かせて頂きます。