Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

・歴史旅行記や言葉(日本語・フランス語・ドイツ語など)へのこだわりや検定・歴史散策などの実践録を書き綴ろうと考えています!    
                      
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現在、大河ドラマ考は『吉野「西行庵」への「本当の」行き方(大河ドラマ考No.65 清盛⑩)~昨年の花見記録より 』まで連載中です。


そして、今回は『大河ドラマ考No.52~56まとめ(大河ドラマ考No.64) 』に続くダイジェスト風紹介になります。


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「問題児の兄(清盛)」と「優等生の弟(家盛)」という定番の根拠(大河ドラマ考No.57 清盛③)

こういう見方をすると、昨年の「江」と同じ構図なのですが・・・

それは兎も角としまして、史上に名が残った兄弟ではいずれも問題児とされた兄の方が歴史上の偉人となっていますね!


平忠盛の「武士としての昇殿」が「未曾有」という「誤解」(大河ドラマ考No.58 清盛④)

源家(河内源氏)と平氏とが並び称せられている理由を知るためには、「忠盛・清盛」前後の源家の活躍を見る必要が有ります。

源義朝の曽祖父は著名な源義家院昇殿を果たした人なのですが、平忠盛の栄達と対比させてみました。


平忠盛よりも「6ランク」低い源為義が源家「当主」という事の根拠(大河ドラマ考No.59 清盛⑤)

平家・源家先祖伝来の宝刀を「片方しか」持たなかった清盛・義朝(大河ドラマ考No.60 清盛⑥)

源義家の後は源家は凋落。

ドラマ内での当主・源為義は、平忠盛に大きな差をつけられます。

それでも、恐らくは為義が当主(異説あり)。

では、その「証拠」とは?


それでは、忠盛はどうすれば公卿になれたのか?(大河ドラマ考No.61 清盛⑦)

「平清盛」は公卿どころか律令上は最高位の太政大臣になった人物。

それでも、公卿の手前の「四位」で足踏みをしました。

では、どの様に清盛が「武士として未曾有だった」公卿昇進を果たしたのか?

それを見てみれば、忠盛の公卿昇進が困難であった事が確かに理解できそうです。


義朝・由良姫の婚儀が鎌倉・「室町」両将軍家創生の端緒に。(大河ドラマ考No.62 清盛⑧)

清盛は、栄達のために高貴な姫を欲する事はしなかった様です。ドラマでも、史実でもです。

一方、「這い上がらねばならない」源家は違いました。

源義朝と(義家を共通の祖とする)源義康は同じ家(熱田大宮司家)と姻戚関係を結んだのですが、これは偶然ではありませんんでした。

そして、源(足利)義康は出世を重ねて昇殿。「足利家」は初代から幸運な家だったのです。


「崇徳帝が叔父子」と公の場で口にするドラマ設定は「以ての外」!(大河ドラマ考No.63 清盛⑨)

ドラマの要となっている「院政」の成り行きについても言及。

皇位継承について描写する場合、やはり雅仁親王は特異な人で片付けるのが無難だったのでしょうね。


吉野「西行庵」への「本当の」行き方(大河ドラマ考No.65 清盛⑩)~昨年の花見記録より

当シリーズでの旅行記は珍しいのですが、まもなく桜の季節

西行庵は山奥なので開花時期は遅いのですが、是非御参考にして下さい。


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あさって3月18日は、第11回目の放送。

まだまだ目が離せません。

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