MGCは1966年(昭和41年)、ダイナミックシリーズと銘打って、ガヴァメント、ルガーP08、ワルサーP38などを設計、販売し始めた。その第一弾は「M1911A1ガヴァメント」であった。 

MGC@GM1各種
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上の記事はMGCの機関誌「Visier」の第3号の記事からだ。もう、現在(2018年)から数えると、50年を超えてしまったことになる。
本格的なモデルガンは、このあたりから始まっているのだ。 
スライドの刻印からもわかるように、戦後のコマーシャルタイプで1950年代のCOLT刻印が細い時代のものだ。発売当時のガヴァメントはまさにこの「COLT刻印」モデルであり、シリーズ70の発売はまだ後である。だから、戦時中のモデルと違いセフティ指掛けも長くなっている。それまでのモナカと呼ばれる真中から二つに割れる玩具構造中心のトイガンから、しっかりとしたフレームとスライドを持ったモデルガンの構造へ変貌していく中で、このガヴァメントの重厚なイメージは大ヒットとなった。

同時期に出た江原商店=CMCの非発火タイプ9ミリカートのガヴァメントを蹴散らした感があった。その後に識別のため、このMGC初代金属製ガヴァメントは「GM1」と通称されている。
MGC社内ではモデルナンバーで呼んでいたようで、この後にプラスティック製ガヴァメントが出ると「GM2」、その金属化モデルは「GM3」、さらに「GM2」ベースで作られた戦後タイプのナショナルマッチは「GM4」と呼ばれているのだ。

GM1ガバメント(46規制直後でショートリコイルを省略、9mmガバと同じファイヤリングピン構造を備えたタイプです。)
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GM1コマンダー(46規制直後でショートリコイルを省略、9mmガバと同じファイヤリングピン構造を備えたタイプです。)
フレームに王冠マークが残っている事からコマンダーの販売はガバと比較して芳しくなかったことがうかがえます。
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GM1ターゲットモデル(46規制前でショートリコイルも健在、初期のファイヤリングブロック構造を備えたタイプです。銃口に装着するマズルブレーキは銃腔閉塞のため装着が出来なくなっています。)
海外輸出用ではないグリップはランパンコルトもメダリオン仕様になっていませんでした。
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GM1:左側スライド&上側バレルが46規制直後でショートリコイルを省略、9mmガバと同じファイヤリングピン構造を備えたタイプで、右側スライド&下側バレルが46規制前の構造を持っており、機構の改変が行われています。
その後、ファイヤリングピン構造はsm規制に合わせたファイヤリングプレート構造へと変化し最終形態へとなっていきました。


このMGC製のガヴァメントは、45ACPの太いカートリッジを使用した点と、平玉火薬をカートリッジの先端に詰めて、少なくとも発火させられるという点で、ほぼ同時期に発売されたCMC製を凌駕していた。最初のCMC製ガヴァメントは、発火はできない上に、妙に細い9ミリ径のカートリッジを使っていたのだ。45ACPを使用する大口径モデルは、それまでのブローニング380やPPKと違い、冷たく重いスライドを力を込めて引き、手を離すとその堅牢なスライドが閉じながら太い45ACPのカートリッジをチャンバーに送り込む感触。鋳造された亜鉛合金製スライドが共鳴しながら閉鎖し、バレルエンドやフレームと激突して「グワッシャーン」と音がするのだ。

触感と音響が、当時のガンマニアの五感を激しく刺激したのだ。

金属製ガヴァメントの魅力は、まさにこのスライドを引いて閉じる動作にあるのは間違いない。それは、小型拳銃とは違う、重さが快感なのだ。 
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カートリッジの初期は先端がすぼまった特異な形をしていたが、途中からずんぐりとした弾頭型に変わった。この頃のオートマティックモデルガンは、当然ブローバックなどしない。手動のハンドリングモデルである。ブローバックなどという概念すらなかった。事前に真鍮ムクで造られたカートリッジの先端に開けられた窪みに、平玉火薬を3~4粒詰めておく。カートリッジをマガジンに詰めて、手でスライドを引き、真鍮ムクの重いカートリッジをチャンバーへ送り込むのだ。トリガーを引いてハンマーが落ちれば、ブリーチのあたる部分全体(ファイアリングブロックと呼んでいた)が前進して真鍮カートリッジ全体を押して、先端に詰めた平玉火薬がチャンバー内に据え付けられた前撃針と呼ばれる金属棒に当たり、発火と共に轟音を発する。もちろん、圧力も何もないから、ただ「ズバァーン!」と音がするだけである。すかさず、手でスライドを引いて真鍮カートリッジを排莢し、次弾を送り込む。

ただ、これだけでも、当時はとても!とても‼楽しかったのだ。 

実物のマガジンは入らないように、と、わずかにマガジンは短くされ、それに伴いグリップフレームもわずかに短い。だから、ほぼ実寸のスライドが少し長く見えて妙に精悍なスタイルに見える。最初にこのMGCのガヴァメントで眼が慣れてしまったので、実銃サイズのCMC製三代目ガヴァやGM5を見ると、どうも間延びして見え、さらに実寸大グリップサイズに目が慣れると、今度は妙に短く見えてしまい、とても困ったのだ。当然、GM1に実物グリップはつけられないのだが、当時のGM1はグリップフレームに直接ねじ穴を開けていたため、その少し下にもうひとつねじ穴を開けることで実銃用グリップをつけることもできた。前述のように、まだモナカフレームのペラペラなおもちゃのような玩具銃全盛の頃、この、分厚いスライドとがっしりしたフレームを持つGM1は、まさに革命的な感動を惹き起したのは間違いない。重たい真鍮ムクのカートリッジをマガジンに詰め、左手でスライドをいっぱいに引き、パッと離すと、思い亜鉛合金のスライドは真鍮カートリッジをチャンバーに送り込む。グワッシャーンという迫力ある音がスライドと共鳴し、その重々しい音で当時の少年たち皆が大興奮したのだ。

大まかにGM1のモデルチェンジについて、バレル機構構造は1度の変更、ブリーチ構造は都合2度の変更が行われています。
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さて、この初代金属ガヴァメント、ブローバックはまったく考えていなかった証拠に、オリジナルには当然ついているディスコネクターはない。ハンマーとシアだけでメカニズムが構成されている。 
通常、ハンマー=撃鉄を起こすと、ハンマーはシア=逆鈎に引っ掛かり、起きた状態で止まる。その間ハンマーはスプリングによって圧縮されているが、シアのために落ちないでいるのだ。
トリガー=引き金が引かれると、トリガーの後ろがシアを押してハンマーとのかかりを取り、ハンマーはスプリングの力で勢いよく落ちて、ファイアリングピン=撃針を叩く。本物の銃では撃発と共に弾丸が飛ぶ反作用の反動でスライドは後ろへ下がり、ハンマーを再び起こそうとする。だが、その間、トリガーは引かれたままなので、その状態ではトリガーがシア押したままであり、ハンマーはシアにはかかりようがない。撃発のサイクルは瞬間なので、すぐに人差し指をトリガーから離すわけにもいかない。 だから、スライドが後ろへ下がり始める時、ハンマーが再び起きた状態でシアにかかるように、シアとトリガーのかかりを断ち切らねばならない。ディスコネクターはこのトリガーとシアの関係を物理的に切り離す役割をするわけだ。
ディスコネクターとは、英語の通り、「dis=断つ」「connect=関係」であり、トリガーとシアの関係を断つのが目的のパーツだ。
スライドが下がり始めると、ディスコネクターが下へ下がってトリガーを押し下げる。そのため、シアとのかかりがなくなり、シアは元の位置へ復帰してハンマーと引っ掛かることができるようになる。手動ハンドリングモデル時代は、概ねこのディスコネクターは省略されていた。GM1も例外ではなく、フレームの中にはシアとハンマー、トリガーのみがあり、シアの真中にディスコネクターはなかったのである。ブローバックしないなら、トリガーを引いてから、人差し指をトリガーから離し、左手でスライドを引くと言う時間があったのだ。だから、ディスコネクターはなくても何も支障はなかった。
この様なメカを振り返ると、当時のMGCではブローバックを考えていなかったことが分かる。しかし、次のルガーP08(昭和41年=1965年後半)ではブローバックを前提に設計していたのは、そのパーツ構成から推察できる(ここはP08の項で詳細に触れる。)。 

そして、さらに後のベレッタM1934(昭和43年=1968年)では、トリガーバーについたディスコネクターのために、デザインが崩れるのを承知でわざわざスライドを大きく切り欠いている。ブローバックが前提となっていた証拠だろう。
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やがて、オートマティックの代名詞とも言えるガヴァメントをブローバックさせる考えが出てきたのは、自然の成り行きかもしれない。 MGC・GM1金属ガヴァメントはダイナミックシリーズの第一弾として登場し、絶対の人気を誇っていたが、手動のハンドリングモデルから、空薬莢を排出するブローバックモデルへの変換だ。

「Visier」や「MGCニュース」などを見ると、たぶん1966年(昭和41年)頃から、デトネーターによるブローバックモデルの構想があり、試作をされていたようだ。
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これは1968年(昭和43年)発行の「Visier」より。前年の「OO7/は二度死ぬ」でブローバックステージガンを提供していたと宣伝されていたが、既にデトネーター式のブローバックは試作モデルでは作られていたようだ。
空薬莢型の薄い外殻の真鍮製カートリッジに平玉火薬を詰め、その内径にデトネーターと呼ばれるほんのわずか小さい円筒)をすっぽりと入れて、カートリッジ全体を押して平玉火薬を押しつぶして発火。発火したガス圧は隙間のないままデトネーターとカートリッジの内部で膨張し、カートリッジを後ろへ押す。要するに爆発の瞬間、どこにも隙間がなくガス圧の逃げ場がない状態でカートリッジを後ろへ吹き戻す=ブローバックさせる、という考えだ。
起源はいろいろな文献やインタビューで小林太三氏ご本人、同時期に同じようなブローバックメカを考えた国本圭一WA社長らが述べているが、偶然が重なり、みんなが同じ時期に実用化したようである。現にわれわれのようなユーザーも、当時の手動ハンドリングモデルで体験しているのである。たとえば、MGCの大ヒットモデルPPK。スライドアクションで動く人気のモデルで、ブローバックが存在しない時代、片手で連射できるとても遊びやすいモデルガンだった。PPKは小口径の小型拳銃だが、バレル内に火薬カスがたまって銃腔が閉鎖された状態に気付かず、大量の平玉火薬を詰めてトリガーを引くと、スライドが戻って発火する瞬間、銃腔が塞がったためにガスが前へ抜けずに後ろへ戻り、自然にブローバックしてしまうという現象に遭遇したのである。
これにヒントを得て、中田商店では、「シーリング方式」と呼ばれる、チャンバーの先を完全閉鎖してガスを後ろへ吹き戻すブローバックシステムを考案し、中田製シュマイザーMP40に搭載して発売した。
一方、MGCでは小林氏が前述のようなデトネーター方式のブローバックを開発して同様にシュマイザーMP40に搭載して発売したのだ。
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写真は「ブローバックのすべて」より、当時人気抜群だったモデル団次郎(当時の芸名)。 
中田シーリング方式は前面が完全に塞がっているのでガスが抜けない。しかし、MGCデトネーター方式はガスが前へ抜けると言う点と全鉄プレス製という外観で中田製を圧倒的に凌駕し、これまた大ヒットした。ただ、デトネーター発火方式は、発火のタイミングをカートリッジ全体を押して「激突」させる。そのため、サブマシンガンのようにオープンボルトから、重いボルトが平玉火薬を詰めたカートリッジをチャンバーにー送り込んでデトネーターにぶつけて撃発させるのは簡単だが、クローズドボルト、すなわちハンドガンのように一度スライドを安全に閉鎖してから、ハンマーを落として撃発させるのは非常に難しい。スライドを閉鎖してチャンバーへカートリッジを送り込んだ瞬間に、デトネーターに当たって発火してしまうのだ。閉鎖した時に隙間ができるようにすれば、ハンマーを落としても不発になる確率が増える。

ここは安全性のためにカートリッジの中心を叩く撃針を置かないように配慮して、カートリッジ全体を前進させて発火させる構造が災いしたのである。当時はカートリッジにインナーを別部品で入れるという発想自体がない。もし当時、インナー方式でセンターを叩くファイアリングピンを装着していれば、暴発しない閉鎖式デトネーターブローバックがいとも簡単に開発できたろう。(このインナー方式はGM2センター・プラカートの登場まで待つことになる。)

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1、以前もベレッタブローバックに触れた時に掲載した図だが、これがクローズドファイヤの場合のデトネーター方式ブローバックの、撃発直前の状態だ。スライドを引いて離し、初弾をチャンバーへ送り込む際、この状態でうまく止まらなければ、衝撃で発火してしまう。だから、平玉火薬と金属モデルガンで育った世代は、スライドを引いて初弾を送りこむとき、ついついゆっくりと手を添えて閉鎖する。習性として一杯にスライドを引いて、パッと離す事ができないのだ。
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2、そして、トリガーを引いてハンマーが落ちると、センターをズラしたファイアリングプレートがカートリッジ全体を押して、デトネーターへ平玉火薬をぶつける。
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3、このとき、発火ガスの逃げ場はなく、カートリッジはそのまま後ろへ吹き戻される。これで重いスライドが下げられるわけだ。カートリッジはスライドと共に下がり続ける。
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4、スライドがある程度下がると、カートリッジがデトネーターから解放され、ガスが前へ抜けていく。 

1968~1970年(昭和43~45年)頃、MGCでは盛んにデトネーターブローバックの試作を行っていたようだ。
しかし、なるべくセンターを尖ったもので叩かない、という制限の元、一体型カートリッジでデトネーターブローバックは試作された。
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1970年(昭和45年)「Visier」万博特集号では、ブローバックするGM1の様子がモーゼルミリタリーと共に掲載されている。ただし、この頃の最大の問題は強度であり、モーゼルミリタリーは亜鉛合金ではとてももたず、危なくて製品化できなかったということだ。トンプソンのカートリッジを使ったGM1試作品も、何発か射つとスライドが割れてしまい、危険だった。それでも、GM1のブローバック試作モデルはテストを続けられていた。しかし、前述のように元々ディスコネクターがついていないので、そのままブローバックさせるとハンマーがコックされない。だから後からディスコネクターをつける必要があった。 

GM1用の後付けディスコネクター。これには二つのルーツがある。一つ目は、実銃の世界でもガヴァメントをコピーしたスペインはスター社のモデルだ。そして、MGCのGM1をブローバックさせようとしたのは、MGCが最初ではない。二つ目のルーツは、かの「エジプト」だ。 
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1969年(昭和44年)、「エジプト」の山川氏が、後撃針=センターファイアブローバックのGM1を作り上げた時、この技術者はディスコネクターをスター・モデルAと同様の位置へ持ってきたのだ。このブローバックするガヴァメントは、東宝映画「弾痕」に採用されている。
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映画「弾痕」で使用されたステージガン。当時のスティール写真で、DVDの特典映像に入っている。エジプトカスタムそのものであり、スライド右側面にスターモデルAと同じディスコネクターが露出しているのがわかる。

MGCベースのセンターファイアブローバックガヴァメントは世間のガンマニアをうらやましがらせた。それは、凄まじい轟音とフラッシュ、火炎煙を噴き出す大迫力のブローバックではあったけれど、なかなか一般のマニアがおいそれとは手に出しにくいものだった。それだけに、MGCの提唱する平玉火薬5~6粒でブローバックする金属モデルガンはみんなが待っていたのである。

話は戻るが、結局、GM1に装着させるディスコネクターは、これらと同じ考えで設計された。MGC製GM1ブローバックのプロトタイプには、ディスコネクターがエジプと同じスタイルで装着されていたのだ。フレームの右側面に溝をフライス盤で切りだし、ディスコネクターはめ込んだのだ。トリガーバーの上に乗せるような感じだ。ディスコネクターの頭は、スライドのセレーション部分に切り欠きを入れて、そこへ突っ込んでいる。ブローバックしてスライドが下がると、ディスコネクターが下へ押し下げられ、トリガーバーを下げて、シアとの連結を断つわけだ。簡単だが確実なディスコネクトの方法であり、実銃のようにフレームの中に複雑な形のディスコネクターを入れて動かすよりもはるかに簡単だ。もっとも、エジプト製はトリガーバーに穴が開けてあり、ディスコネクターはそこへはめこむようになっている。プレス製の鉄板を乗せただけのMGC製と違ってエジプトは芸が細かい。さて、このような「スター式」ディスコネクターをつけたMGC製ガヴァメントブローバックは、それでも発売はとても遅れた。スライドの強度の問題が解決しなかったのではないかと思われる。

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1971年(昭和46年)初めにMGC金属ハンドガンブローバック第一号として、まずベレッタM1934が発売された。既に発売されていたスタンダード仕様(すなわちブローバックしない手動モデル)にデトネーターや衝撃吸収のゴム製バファーをつけた小改造で発表されたのは、元々ブローバックを考えて各部の厚みを増していたからだろう。この時にスライドやフレームの主要パーツの厚みを増し、隅角などに曲面を施しておくことが重要だと気付いたそうだ。このモデルガンが革命的だったのは、平玉火薬を3~4粒で入れるだけでブローバックしたことである。後撃針=センターファイアのように紙火薬をたくさん入れないで済む。ブローバック作動を玩具として成立させたことが革命的だったのだ。
安全にブローバックさせる、という点がMGCデトネーター方式ブローバックの最大の利点なのだ。

次に、ブローバック第二号として、以前紹介したS&W44オートが発売された。このモデルは最初からブローバックを前提として設計されていたため、頑丈で作動も確実。MGC金属モデルガンの大傑作となった。
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44オートはスライドの後退距離もあえて短くしてあり、スライドやフレームも堅牢に分厚く作られ、破損しやすいファイアリングプレートやハンマーがロストワックスで作られている。だから、少ない平玉火薬で楽にブローバックし、その作動も快調、中々壊れなかった。
その年の夏頃のことだ。1971年(昭和46年)の夏。みんなが夢の金属モデルガンブローバック発売に酔っていた。 素晴らしい夏になるはずだった。しかし、その年の夏は、他の年とは違っていた。
1971年10月をもって銃刀法の改正が施行され、金属製モデルガンは黄色か白に塗り、銃腔は完全に閉鎖するよう法律で定められたのだ。もう、知らない世代も増えたろうが、いわゆる「昭和46年規制」あるいは「第一次モデルガン規制」と呼ばれる暗黒のモデルガン規制だ。
黄色か白に塗れ。これから発売されるモデルガンも、そして、既に販売されて一般に所持されているモデルガンも、だ。

今のお若い方々には、手元にあるプラスティックモデルガンを全部黄色か白に塗れ、と言われたようなものだと思ってほしい。 

せっかく夢のハンドガンブローバックが実現したのに、まだ1年も経たないうちにこれだ。ようやく、ベレッタM1934、S&W44オートと発売され、真打はなんといってもガヴァメントだ。 

そう、みんながいつの時代でも待ち焦がれているのは、ガヴァメントだ。みんなが期待していた少ない平玉火薬で安全にブローバックするガヴァメント。 

46年規制直前ギリギリの時期、遂に待望のガヴァメントブローバックは発売された。
しかし、それは待ち焦がれたファンにとって、ちょっと違う姿だった。

(J.R記)
        To be Continue. 



元箱は以下の様な変遷がありましたが、下側の2つは輸出も兼ねた装丁です。
MGCからRMIへの変更がありますが中身は全く同じものであります。
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