県道50号の奥不動寺参道分岐に道標が立てられている。全体的に草に覆われている。



蔦や枯れ草を掃除すると文字が現れた。正面(西面)には大きく「右 不動寺 白山道」、その左下には小さく「左 名張道」の文字が刻まれている。奥不動寺・白山への参道と都祁から名張へ至る伊勢街道を案内しているようだ。




裏側には「起工昭和十五年二月十三日 成工仝十九年二月十五日 延長一千八百五十米十三… 工費一万三千二百八十六円 寄付金八百円 島岡常治郎」と刻まれており、現在の奥不動寺への車道の完成を記念して建てられたものと思われる。(複数の画像を繋ぎ合わせ、文字が読みやすいように画像処理している) 



左側面。文字などは確認できない。



右側面にも文字は見られない。



県道50号の奥不動寺参道が分岐する地点に立てられており、現在は砂防指定地の看板に隠れ道標として機能はしていない。



奥不動寺へ続く参道。



参道側から。



きれいに掃除したが…、



2年半後にはすっかり草に覆われていた。


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県道50号(田原本街道・笠街道)の巻向山奥不動寺参道分岐に立つ。奈良県下では珍しい戦時中に建てられた道標になる。

戦時中のものは、現在県内で確認している丁石を除く道標約1700基中、4基しかない。そのうちの2基は社号標を兼ねているものなのでそれを省くと2基となる。戦時中に建てられた他の道標は、手向山八幡宮参道(奈良市雑司町)、法融寺前(奈良市二名)、九品寺参道(御所市楢原)などにある。

この道標は草で覆われていることが多く、蔦や枯れ草などを掃除してようやく文字が確認できる状態になった。正面(西面)には大きく「… 右 不動寺 白山道」、その左下に小さく「左 名張道」の文字が刻まれており、奥不動寺参道と、都祁から名張へ至る伊勢街道を案内しているようだ。

裏側には工事期間、距離、工費、寄附者の名などが刻まれており、奥不動寺への現在の車道(約1800m)の完成(昭和19年)を記念して建てられたものと思われる。

奥不動寺参道には古くからの丁石(現在2・3・7丁石を確認)が置かれており、以前の調査では7丁石の上のヘアピンカーブの先に旧ルートと思われる道(約300m)の存在を確認した(「奥不動寺旧参道(?)」)。昭和19年の車道の完成に伴って廃道となったのかもしれない。(下図参照) 

現在、道標の周辺は一面森になっているが、30年ほど前まではこの一帯に民家が数軒あった。道標の後方(東側)50mの辺りにも大きな屋敷があって、屋敷と道標の間には畑(草地)が広がり見通しが良かったようだ。背後の森の中には現在も石垣や住居の残骸が残っている。

また、ここから県道を100mほど下った所にある祠内にも、「右 ふどう道 左 笠山道」と刻まれた笠山荒神社と奥不動寺を案内する地蔵道標が納められている。





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・各面の内容 

[西面]_(右上) …文字あり?、(中央) 右、不動寺、白山道、(左下) 左、名張道 
[東面]_起工昭和十五年二月十三日、成工仝十九年二月十五日、
            延長一千八百五十米十三…、工費一万三千二百八十六円、
            寄付金八百円、島岡常治郎 
[他面]_文字なし 


建立年 : 1944年 (昭和19年) 


奥不動寺参道入口 (田原本街道・笠街道) 



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