桜井市下り尾(さがりお)の清滝(清滝不動尊)への登り口に道標が立てられています。「右 たき み(三)ち」 と刻まれています。



まずは全部の面を見て行きます。右側面には文字はありません。



裏面にも文字は無いようです。



左側面にも文字は見られません。



頭頂部。



基部が露出した状態で石に立てかけられています。本来なら下半分は土中に埋められます。



この道標から沢伝いに200mほど登ると清滝不動尊があります。



道標の前の道は明治時代の地図に描かれている道で、かつては下り尾と粟原を結んでいた道のようです。



清滝不動尊。左が雄滝で右が雌滝です。



岩肌に彫られた不動明王立像。



清滝までは足場があまり良くないのでお気をつけください。


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粟原川支流の清滝川の上流にある清滝(清滝不動尊)を案内する道標です。

現在道標は清滝の登り口に基部が露出した状態で石に立てかけられています。正面には 「右 たき み(三)ち」 と刻まれており、下り尾集落方面からの訪問者を右(清滝川の上流)方向へ誘導していたものと思われます。

ここは音羽山の北の斜面に位置し、標高は約310m。清滝はここから沢伝いに200mほど登った標高350mほどの場所にあります。清滝は行場でもあり、滝の前には小さな祠が建ち、岩肌には不動明王が彫られ祀られています。

この辺りは、桜井市粟原の村域(大字域)に北側から清滝川に沿って細長く下り尾(さがりお)の村域が入り込んでおり、清滝の下り尾・新出集落との強い結びつきが感じられます。また、沢道(参道)に一部残る昭和初期の欄干には桜井や大阪の人の名が見られ、清滝不動尊が広く信仰されていたことがわかります。

今でこそ鬱蒼とした荒れた山中にありますが、清滝川の右岸一帯は1970年台までこの道標や清滝のあたりまで棚田が広がっていたようです。

※現在道標のある場所は粟原と下り尾のほぼ境界付近(正確には粟原か?)になるようですが、ここでは道標の所在地を下り尾とさせて頂きます。


【下図】
清滝へ、通常のルート以外の2ルートでのアプローチを試みました。

・ 青のルートは明治41年の地形図に破線で描かれている道です。ルート東端の粟原寺跡の上辺りに清滝と下り尾を示す道標があった(ある?)らしいので、当時は利用されていたと思われますが、現在は(ほぼ)使われていないように思います。
・ 緑のルートは新出集落の越塚古墳からのルートで、どの地図でも道は繋がっていませんが、おそらく利用されていた時期もあるのではないかと思います。
・ 赤のルートは青のルートの続きの明治地図の破線道ですが、こちらは清滝不動尊への一般的なルートとして現在も使われています。 



【注意】
緑のルートには耕作放棄地の藪やぬかるみ地帯、道の無い所や急斜面、青のルートにも急斜面や道の無い所があり、ともに迷いやすい箇所もあるので探検(冒険)したい方以外にはおすすめ出来ないルートです。清滝や道標へは赤のルートが早くて安全で確実です。地図内の「中級者以上」というのは、ハイキング感覚では歩けません、という意味です。 


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・各面の内容 

[正面]_右、たき、み(三)ち 
[他面]_文字なし 


寸法 : 高66cm(上部28cm)×幅19cm(基部24cm)×厚13cm(基部16cm) 



●大きな地図で見る 


<2022/6/20 地図に「棚田跡」の文字を追加>