三つに折れた道標が道端に積まれています。
[正面]_…(左右どちらかを指差し、女坂?)傳稱地道
[左面]_…(紀元二千六百?)年、奈良縣奉祝會建…(之?)
[右面]_未確認 (昭和十五年十一月?)
[裏面]_未確認 (文字なし?)
上から。
東側から。
西側から。
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●その後、角地の建物が取り壊されて更地になり、道標は接合修復されて同所に立てられています。(2019/5/7 取材 → 2020/6/26 追記)
[北西面]_(右指差し)、女坂傳稱地道
[北東面]_紀元二千六百年、奈良縣奉祝會建之
[北東面]_紀元二千六百年、奈良縣奉祝會建之
[南西面]_昭和十五年十一月
[南東面]_文字なし
西側から。
東側から。
南側から。
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この道標は大宇陀方面から大峠を越え多武峰へ抜ける古道と吉野方面へ抜ける街道の分岐点にあり、大峠にある 『女坂(めさか)傳稱地』 を案内しています。
日本書紀における神武天皇東征の際に現在の宇陀市と桜井市の境にある大峠付近に女軍が置かれたとされ、大峠には昭和15年建立の 『女坂(めさか)傳稱地』 の石碑が置かれています。
女軍を置いた大峠に対し男軍が置かれたのは、ここよりずっと北の半阪峠とされ、そこには 『男坂(おさか)傳稱地』 の石碑が立てられています。
大峠トンネル入口の下方のポンプ施設前にも同じく女坂傳稱地道の道標が立っています。
(0542-宇陀市大宇陀宮奥の道標-1)
奈良縣奉祝会による伝承地道標は昭和15年の紀元二千六百年を記念して建てられ、神武東征神話に基づく県内各地の伝承地を案内しています。2019年7月現在、県内に20数基を確認していますが、それらすべてがほぼ同じ様式で作られています。
この道標は以前、三つに折れた状態で道端に積まれていましたが、2019/5/7の取材時には角地の建物が取り壊されて更地になっており、道標は接合修復されて同所に立てられています。
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・各面の内容
(現在(復帰後))
[北西面]_(右指差し)、女坂傳稱地道
[北東面]_紀元二千六百年、奈良縣奉祝會建之
[南西面]_昭和十五年十一月
[南東面]_文字なし
(寝かされていた当時)
[正面]_…傳稱地道
[左面]_…年、奈良縣奉祝會建…
[右面]_未確認
[裏面]_未確認
建立年 : 1940年 (昭和15年)
宇陀市水稲育苗施設前三叉路 (針道街道・上市街道)
●大きな地図で見る
<2019/9/9 補筆>
<2020/6/26 写真追加・補筆>