穴栗神社前に立つ道標です。



正面には大きく「穴栗四社大明神」の文字が刻まれています。



下部には浅い彫りで「社まで三丁… 社より… な(奈)らへちかみち…」と刻まれています。



右側面には「元禄四辛未年 奉寄進 十市高田村 奥田源蔵」 と刻まれています。



右側面の下部。「奉寄進 十市高田村 奥田源蔵」 



左側面には「八月吉日」と刻まれています。 



裏面には文字は無いようです。



尖塔形状の頭頂部。



穴栗神社。 



穴栗神社の説明板。







西側から。 



境内より。


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穴栗神社前に立つ元禄4年(1691年)の銘のある道標です。現在は社号標となり道標としては機能していません。「社まで三町」とあるので元は上街道の分岐にあった可能性があります。実際の上街道からの距離は約400mです。

正面下部には浅い彫りで「社まで三丁… 社より… ならへちかみち…」と刻まれており、最下部が埋没していますが、「社まで三丁半(または東) ならへちかみちあり」と刻まれているとも考えられます。

二条町交差点の「西大寺道」道標(元禄12年・1699年)よりもさらに古く、奈良市内の紀年銘のある道標中で最も古い道標だと思われます(こいわい調べ)。ただし正面下部の道標部分が追刻である可能性も捨てきれません。

もう少し判りやすい写真が撮れれば再アップします。


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・各面の内容 

[西面]_穴栗四社大明神、
            (下部) 
            社まで三丁…(半?or東?)、
            社より…、な(奈)らへちかみち…(あり?) 
[南面]_元禄四辛未年、
            (下部) 奉寄進、十市高田村(現桜井市高田)、奥田源蔵 
[北面]_八月吉日 
[東面]_文字なし? 


建立年 : 1691年 (元禄4年) 

穴栗神社前 (元位置 : 上街道?) 



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<2022/5/12 補筆>