記事をリニューアルしました(2022/12/23) 



真弓の峠に道標が立っている。この場所は御所と中街道の下平田を結んでいた御所街道(越の道)と、土佐(高取町)方面への道の分岐点になる。正面(北面)には「左 おかでら とうのむね こし村」の文字が刻まれている。



下部は埋没しており「村」と「む」の字が辛うじて見える。



西面に文字は確認出来ない。



東面にも文字は無いようだ。



頭頂部。



脇にある石。これはなんだろう?



北側から。この場所で御所街道(越の道)の中街道方面と土佐(高取町)方面への道が分岐していた。この辺りは農免道路の建設によって地形が変わっており、道標も元はもう少し北側にあったのでないかと思う。



南側から。



西側から。


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御所と中街道の下平田を結んでいた御所街道(越の道)と、櫛玉命神社を通って土佐(高取町)方面へ至る道がこの付近で分岐していた。道標には「左 おかでら とうのむね こし村」と刻まれ、御所街道(越の道)の中街道方面を指示している。

この辺りは農免道路の建設によって地形が大きく変わっており、道標はかつての分岐点から少し南側へ移設されているように思う。御所街道はここから東200mの区間で所々に痕跡も見られるが道はほぼ破壊されている。代わりに農免道路を東へ200mほど進むと旧道の続きが左へ分岐している。旧道に入った次の三叉路には「右 御所 金こう山 道」と刻まれた地蔵道標がある。そこを左へ行き越の集落を抜けると「こんかう山みち(金剛山道)」と刻まれた寛政8年の道標が立つ中街道の豊年橋に出る。下平田からは橘街道(霧ヶ峯道・岡道)に入り岡寺、多武峰に通じる。

道標から右へ登る道は土佐方面へ至る道で、150mほど行った四つ辻(昔は三叉路だったと思われる)には「右 土佐道」と刻まれた嘉永2年の地蔵道標があるが、一帯は大規模に農地改良されており直線的な道筋に変えられている。

道標の裏側にはノミ痕が見られる。


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・各面の内容 

[北面]_左、お(於)かてら、とうのむ…(埋没・ね)、こし村 
[西面]_文字なし 
[東面]_文字なし 
[南面]_文字なし 


奈良県農民組合南 (御所街道(越の道)) 



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<2015/8/9 初投稿> 
<2022/12/20 補筆> 
<2022/12/23 リニューアル(写真更新・補筆)>