先輩技術者のブログで、僕ら印刷業者の誰もが使うインキについて掘り下げた記事を拝見して、目からウロコでした。

ちゃんとした技術を持っている人って、やはり徹底して基礎の知識が深いんだなぁ。と。当たり前と言われれば当たり前なんですけど。
印刷は、日々のルーチンをこなせば普通に上達するんだけれど、キチンと仕事を極めようという心意気の方は、そこに留まっていない。例えばインキの配合成分をブログにアウトプットできる知識量を保有するには、技術を深く知りたいという知的欲求、探究心無しにはあり得ないな、と。


ボクは笑福亭鶴瓶が好きなんです。
テレビでは明るいキャラの司会者を始めとして色んな顔を持っているタレントさんですが、お名前の笑福亭のとおり、キチンと寄席もなさる。

最近、テレビが面白く無いという話を聞いて久しいですが、テレビに出ている若手芸人の基本の力量が、かつての『芸人』さんと比べて貧弱なのではないかと思うわけです。
一発ギャグを芸として騒ぐだけだったり、非日常的な体当たりをして笑いを取りに行くことを『今風の芸』とすると、古典的な落語などは伝統芸。
芸の基礎、伝統芸を下地にしている芸人というのは、同じバラエティ番組でも、ふとした時の奥深さがあるように思います。それが何なのか、ボクは芸に詳しい訳ではないので分かりませんが、確かにあるような感じがする。


ボクの仕事に置き換えてみれば、シール印刷の基礎である凸版印刷技術や抜き加工を知らずして、オンデマンド(プリンター)印刷だけを追求するようなものです。

現在のラベルプリンターは、ボタン一つ押せば、それだけでキレイなシールが刷れてしまいます。
では、そこに私達が存在できる価値はなんでしょうか?

セパレーター(シールの台紙)に刃型が深く入りすぎて、お客様がシールを剝ぎにくくないように。
思い入れのあるデザインや企業ロゴを、毎回キチンと同じ色でご提供できるように。
用途に適した用紙を提案できるように。

この基礎を理解した上で、幅広く新しいことにチャレンジすることと、単純に機械だけを購入して印刷するということは、同じ印刷でも意味合いが変わってくるのです。

お客様にキチンとした説明ができるか、キチンとした審美眼を持てているか。。。
当然基礎が出来ていなければ養われるはずもなく、それは時間をかけてしか醸成されない感覚だと思うのです。

この業界が今のテレビのように『つまらない』と思われないよう、常に基本を深く探求しながら、市場に即した新たな展開を見出す視力を養わなければなりませんね。
何だか、洗い物をしながらそんなことを考えていました。


明日は京都出張。
全国から素晴らしい先輩方がお集まりになられるよう。次世代を切り出すにはボクの知識は浅いけど、基礎の掘り下げと新たな視点を同時進行、倍速で進めなければ追いつけない。

焦るな、急げ!!!いつか上司に言われた言葉が頭を回遊する。
ちょっと売れてた営業マン、訳あって一から出直し!~別府で働く印刷工見習いの日記~-いつも通る鳥居。奥の鳥居の二件隣が祖父母の家。

ちょっと売れてた営業マン、訳あって一から出直し!~別府で働く印刷工見習いの日記~-県無形文化財の草地踊り。

このお盆は、父方の祖母の初盆だったため、私も田舎へ帰り祭壇の設営からお参り頂いた方々へのご挨拶など、かなりバタバタと追われるような休暇に。

昨日はそのお盆の最終日。
疲れが溜まっていたのか、早朝5時に酷い鼻炎で起きてしまったため、良い空気を吸いに外を散歩に出てみた。

足はそれとなくすぐ近所の春日神社へ向かう。
いつもは何となく通うことがあった神社だが、よく見てみると沢山の気づきがある。

祖父母の家に帰る時、いつも普通に鳥居の下を車で通っていたのだが、その鳥居にたってみると、祖父母の家が神社の2件隣にあるという立地に驚く。後に父に聞いたところ、昔の地図では祖父母の家の場所は神社の境内があった場所らしい。地図を見たわけではないが、調べる所によると、代々大友家の庇護下にあった春日神社だが、大友宗麟によって焼き払われたという歴史を持っている神社だけに、その話は本当なのかもしれない。

神社の境内に入ってみると、自分が子供の頃に遊具がわりに駆け上がっていた石碑を見つけた。良く見てみると『征清記念碑』とある。年号を控え忘れたが、石碑裏には明治の年号の刻があったので、恐らくは日清戦争に関連したものなのだろう。


また、駐車場を新設した旨の石碑があったが、そこには祖父と父の名が刻まれており、久しぶりに祖父を近くに感じることができた。浄土が本当にある世界なのかどうかは僕には分からないけれど、何か神社の中に祖父の名前があって、神に守られているような有り難みに似た感情を覚えた。
今まで全く神も仏も信じていなかった僕なのに、本当に不思議な気分。

帰って、祖母の祭壇に手を合わせると、何だか今までにない澄んだ感謝の気持ちが湧いてきた。
見守ってくれているのかどうか分からない。でも、様々な報告を手を合わせて仏壇にするという行為が世代を通じて行われてきたことの意味が少し分かったような気がする。


昨晩は、皆祖父母のいなくなったこの家をどうするのかという話題を頻繁にしていた。
僕のルーツの豊後高田市草地地区は、若者の従事する仕事が少なく、過疎の一途を辿っている地域。
小学校は僕が遊びに行っていた頃で、全校10名程度になっていて、1年生から4年生が一緒に授業を受けていたが、現状は分からない。
幼稚園はガランドウになっていたけれど。


別府に戻る車の中で、祖父母の家が傷むのを傍観してしまうこともできるけれど、失くした後で後悔しないかどうかをずっと考えていた。
僕が高校生までずっと週末を過ごした家。祖父母との思い出の詰まった家。



祖父が僕に教えてくれた伝統ある『草地踊り』という盆踊り。
その合いの手『ソーラエンヤ ソーラエンヤ トヤーソレサ』がやけに頭を巡る。

寡黙で仕事一筋だった祖母が、初盆を機に何かを僕に伝えようとしたのかもしれない、とは考え過ぎなのだろうか。

キッチンで僕が洗い物している横で、彼女が料理を作りながら鼻歌を歌っていたのだけれど、どこか聞き覚えのあるような…でも、うろ覚えらしく何かメロディーが違うような。。。

で、何の曲歌ってんの?

と聞いてみますと、
『アナタが車でタマに聞く曲~。アレ好きなんだよね!デーデレデデレデ…♪』
また歌い出した…。


あ、もしや。。。と思いついた曲をYouTubeで流して、これ?と聞くと頷いた。

何か徐々に俺色に…なってるのか???と、嬉しいような不安なような。。。


その曲は…コチラ

モトリークルーを一緒に聞いてくれる彼女…どうでしょ。。。汗

久しぶりに友達に『そういえば、ブログ辞めたの?』と言われ、ブログをやっていたことを思い出した次第です。。。汗

今は専らfacebookばかりやっておりまして…amebaログインしようとしたら…

ID、パスワード忘れてました…。。。
で、何とか思い出してここまで到達…。

またタマには更新しようと思いますので、良かったら覗いて下さいましっ♪

では!

(人´∀`).☆.。.:*・゚
昨日、ボクの叔父にあたる方が他界した。

オジサンはとても酒が好きだったのだが、ちょいと酔いがまわると絡みが始まるため、いつもオバサンに『もう!そんなに飲んだらまた迷惑かけるんだから!止めなさい!』と言われ、その度に『いーんだバカヤロウ!まーだ大丈夫だから!』と酒を飲んでいた。
その上、ボクには『酒は度数の半分くらいで飲まないと体悪くするぞ!ほら、水で割れ!俺?俺はいーんだ!こうやって焼酎にカボス絞ったらアルコール半分になるから!グビッ。うん、コレが最高!』などと道理の通らないことを言って飲んでいた。

当然ボクはオジサンが比較的苦手だった。
普段は比較的大人しくて、自分では何でもできるつもりで、やったことない農業の手伝いも誰にも手伝わせずにひたすら不器用で失敗ばかりしながらやっていた。ボクの祖父がまだ生きていた時、良く『そげーせからしくしよったらつまらん』(そんなに落ち着き無くやっていても駄目)とオジサンに言っていたが、オジサンは聞く耳を持たなかった。
オジサンは誰もが知る『○○電工』という大企業の出身で、現役時代はアラブなどでプラントのプロジェクトマネージャーなどをやっていたらしい。その性かプライドが高かったんだろう。


オジサンは胆管癌だったそうだ。
どうやら、腎臓の調子が良くなかったらしいのだが、医者が改善するためを思い、どんどん強い薬に変えていったことも切っ掛けになったらしい。
ある日オバサンが家の掃除をしていたときに、偶然膨大な量の薬が出てきたらしい。どうやら初期の薬を飲まずに隠し込んでいて、状況が悪化し始めてからオバサンが投薬管理をしだして、いきなり強い薬を処方するハメになったようだ。何ともオジサンらしいというか。。。



そんなオジサンがなくなった。

今日が葬儀。
葬儀は、親族の中でも一握りの人間だけ。たった10人。お花も4つほどの小さな葬式。

祖父の葬儀と比べてみていた。
祖父の葬儀は地元の農協だったが、花が届きすぎ、人数も集まりすぎたため、農協の会場の壁をとって2つの会場を満杯にして執り行われた。祖父の人望と尊大さが感じられる立派で豪華な葬式だった。

オジサンは大企業に勤めていたが、勤めていた会社からも花は届かず、友人からも花が届かず。
弔電も無いようだった。

何と寂しい葬式か。と。
これはオジサンの生き様がもたらしたものなのか、と。

ほとんど涙もないままお経も終わり、棺桶が開かれた時、地黒の肌のオジサンは、生前とほとんど変わらぬ姿でそこにいた。その途端、皆涙を抑えきれなくなっていたが、ボクだけが相当に冷静だった。

オバサンが色んな労いの言葉をかけたり、オジサンの孫がオジサンを見て泣いていたり。

そんな時、オバサンがふと『アンタ見て。ヒデ君が忙しいのに来てくれたやないの。良かったなぁ。アンタヒデ君と良く酒飲んで話しとったもんなぁ。楽しいって言いよったもんなぁ。ホント良かったなぁ。』と言った言葉が耳に入った。
ボクも涙が溢れた。


そうか、オジサンは生意気な態度とってた俺を憎たらしいなどと思ったわけでは無かったのか。
オジサンは孫から慕われる良いジイチャンだったのか。
オジサンへの申し訳なさと感謝で急に胸がいっぱいになった。
後で分かったが、お花が少なかったのも弔電が無かったのも、オジサンがあまり皆に気を使わせたくないとの配慮からだったらしい。ボクは大きな勘違いをしていた。情けない。  情けない。

オジサンの周りに、愛用していた眼鏡やタバコを置いて、花で沢山飾り付けた。祭壇は小さかったが、ほとんど祭壇の花がなくなるくらいに。

斎場の人が酒を持ってきた。綿棒に湿して口に含ませてあげて下さい。と。
皆、酒を含ませて口の周りを湿してあげたが、ボクはやらなかった。オジサンが『酒は杯で飲むモンだ!赤ん坊でもねぇのに綿棒で飲ますなんておかしいだろ!』と言ってるような気がしたから。
杯があれば、口に注いであげたかったけど。

その後、棺が閉じるまでオバサンは『あんたセッカチだから道に迷わないで頂戴ね。』『ゆーっくり行ったら良いんだからね。』と、額をなでながら子どもに語りかけるように話していた。
何だか酒の件辺りから、ボクにはオジサンの声が聞こえているような気がした。オバサンに向かって『分かってるから!皆いる前でそんなこと言うんじゃねぇ!恥ずかしいよバカ!!!』といつもみたいに怒鳴っている声が聞こえてきたような。
おかしくて、懐かしくて、申し訳なくて、悲しくて涙が流れた。

棺を閉じる間際、オバサンは『これを枕元に。。。』と、勤めていた会社の名刺を出した。
仕事一筋でサラリーマンとして駆け抜けたオジサンの人生を象徴するようなシーン。
細ぽっちだったオジサンの名刺には、海外の土地を冠した開発事業の部門が書かれていた。
田舎の農業では通用しなかったオジサンだったが、ビジネスではかなりの実力があったのだろう。

葬儀が終わりロビーに向かうと、そこに昨日の朝刊があった。
そこには『○○電工、153億円の賠償金支払いに合意』
オジサンの勤めていた会社だ。

あまりにオジサンらしく、出来すぎたコントのようで思わず吹き出してしまった。


火葬場に着き、最後の挨拶の部屋で
『オジサン、いつかボクがソッチいったら、また酒飲みましょう』
と一方的な約束を押しつけて、ボクは人手の足りない仕事場に向かった。




オジサンまたね。