とある、大阪オフィスのエンジニア遍歴 | サイバーエージェント 公式エンジニアブログ

 皆さん、こんにちは。


 現在、広告代理部門にいるエンジニアのS.K.です。これまでの記事エントリ執筆者とは異なり、アメーバや新規開発局(ND)所属ではありませんので、サイバーエージェントのエンジニアの中でも少数派(*1)かと思います。

 とりあえず、まずは私の入社後変遷から。


(東京)不動産関連のサイトのエンジニア

 ↓

(東京)アメーバ(現.新規開発局)のエンジニア

 ↓活動拠点を東から西へ移動

(大阪)SEMのコンサルタント

 ↓

(大阪)広告代理部門でのエンジニア


ということで、大阪勤務とはいっても、私も元々、新規開発局のエンジニアの一員として渋谷で仕事をしていました。いろいろと辿って、今はこちらでエンジニア職についている訳ですが、今回はそのときのことについて、少し書かせていただこうと思います。


※1.CAMP(サイバーエージェントマーケティングプラットホーム)を開発している部署とはまた異なる、より営業との関係が強い部署です

※2.私の実家の都合です。飛ばされたとかそういうのではないので念のため...


 さて、注釈にもありますとおり、当時、わたしはのっぴきならない理由により、どうしても大阪にいかざるをえない状況にプライベートで追い込まれたわけですが、『当時、大阪のサイバーエージェント支社には、エンジニア専門部署が無かった(広告代理部門しか関西には無かった)』『自分のキャリアとしては、当然エンジニアの経験が大部分(私に営業経験がそもそも無い)』


 この2つの大きな壁がありましたので、会社からみると、突然の私の事情を組み入れるのは、なかなか難しかったのではないかと思います。
 人事の方に相談してみたところ、当時も存在した「キャリチャレ」制度(*)があるというのを教えてくれ、異動も場合によっては可能であるというのは教えていただきました。とはいえ、エンジニアの部署がそもそも無いようでは、受け入れる方も困るでしょうし、結論としては、当時、私自身も退職して、現地で別の会社を探すしか選択肢がないかな、と思っていました(新卒や社外の方の一部には、弊社の「自由」という社風が一人歩きして、うちは、どんなわがままも希望も通ると勘違いしている人もまれにいますが、そこはお互いの信頼関係。我だけ通して、結果を残せないような形で移動しても、お互い損をするだけですので...)


※本ブログの以前のエントリにもありますが、キャリチャレは簡単にいうと他の部署や違う職種にチャレンジして新しい可能性を探ろう的な制度です。


 ですが、その時考えたのが、せっかくまだ若いのだから、一度エンジニアとしてではなく、新しい分野ににチャレンジしてみるのもいいんじゃないか、ということです。現地でエンジニアのグループを立ち上げるという方法もあるにはあったわけですが、...まあ、そういう自由な行動ができるのも、うちの強みですし、ようは過程や肩書きはどうあれ、営業であれ、エンジニアであれ、会社にとって利益となる結果をだせばいいわけです。

 それでまずはSEMのコンサルタントを志望して、一旦エンジニアから一旦営業職に変わることになりました。その当時の話もいろいろありますが、それはさておき、一連の経験を積んだ後、またエンジニアに戻り、現在はSEM関連の社内システムを構築するところに至っています。

 再びエンジニアに戻った経緯※としてはSEMのコンサルタントをしている際に、SEMの業務の高度なシステム化の必要性を感じたことから、大阪にもエンジニアグループを作る必要性をより強く感じたから、ということになります。


 一連の経験を通じて思うことは、エンジニアの道を究める場合でも、人やその考え方により、ずっと一本道でエンジニアを続けることがいい人もいれば、営業やカスタマーサポートなどを経験したほうがよい方もいるのでは、ということです。私の場合も、今回、違う職種にチャレンジすることで見えてきたり、必要性を感じたり、それを実現させたりといったことが現在の自分の業務にも役立っていると強く感じます※。


※ちなみに再びエンジニアに戻る時は、特にキャリチャレの制度を再利用した訳ではなく、組織内でやりたいと直訴して実現させていただきました


 私のようなエンジニア→営業は極端だとは思いますが※、ともすれば定型作業におちいりやすいわれわれの業務について、転職することなく新しいことを経験して更に自分の成長に生かせるという制度は、事例とともによりアピールし、増やしていきたいと思います。今回、自分が成長する機会をあたえてもらったことや、大阪での居場所を真剣に検討し、柔軟に対応してもらった人事、大阪、アメーバの皆さんには、今も非常に感謝しています。


 この社風も、いつまでも大切にしていきたいとつくづく感じます。


※M.S.注:少なくとも新規開発局内には営業>エンジニアの事例やエンジニア>デザイナーの例もありますので、そう極端ではありません